アガニョーク誌の有名な写真に見る祝祭生活

 「マルチメディア美術館」は、ソ連(今はロシア)の伝説的な「アガニョーク(ともしび)」誌115周年展「祝祭生活」(2014年12月18日~2015年2月15日)を開催した。「新年おめでとう、同志よ!」(表紙)、1954年

 アガニョーク誌は全世代のお気に入り誌だった。記事は議論の題材になり、引用され、既刊号のバインダーは大切に保管された。国、人、状況が変わり、アガニョーク誌も変わった。だが記事はその幅広い読者層のルーツに忠実であり続けている。//カザフ共和国アルマ・アタ(アルマトイ)高地スケート場。観客、1955年
 アガニョーク誌は1899年の創刊以来、図版物であり続けた。これはテレビ前時代のテレビであり、家族全員がまわりに集まっていた。ロシア革命期に一時消えたが、1923年に息吹を吹き返し、1925年までには50万部を発行していた。この時期、写真は新しいソ連政府の強力なビジュアル・ツールになっていた。//ヤンカ・クパーラ白ロシア共和国劇場。ミンスク、1953年
 アガニョーク誌はソ連の最も洗練された写真家を雇った。アルカディー・シャイヘト、エレアザル・ラングマン、セミョン・フリドリャンド、レフ・ボロドゥリン、そしてむろん、1965年から1990年まで写真部を率いたドミトリー・バリテルマンツ。写真家の課題は、あるがままの現実を描くのではなく、しかるべき現実を描くことだった。当時の写真付き記事は、カメラの設定および配置の規則、客観的に見えるリポートづくりを重視していた。//若きレーニン主義者アレシャ・ピリャエフとイーゴリ・ウサコフモスクワ、1961年
 この明確な視覚規範は、アガニョーク誌が写真・図版雑誌として全盛期にあった1950年代半ばに形づくられた。アガニョーク誌の写真家は世界で最も幸福な国の幸福な国民のイメージをつくった。集団化された労働者の功績、新たな生活様式の写真、屈託のない子供時代と労働の報いとしての余暇の光景など、アガニョーク誌の写真ではすべてが祝いや期待の空気に満ち溢れていた。//スタブロポリ地方ノヴォアレクサンドロフスク地区での小麦の豊作。集団農場の労働者アナスタシヤ・ニコラエヴナが穀物を「抱擁」、1951年
 1960年代の雪解けの時代、それまでのうわべだけの集団的祝いが個々の幸福によって否定され、写真の表情、柔軟さ、テーマ、色調が変わった。//パイロットで宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンが自宅でヴァレンティナ夫人と、1962年
 1970年代、いわゆる停滞の時代の到来で、祝いは徐々にソ連の写真のメイン・テーマではなくなっていく。アガニョーク誌は2009年、コメルサント出版社の一部となり、以来さらに多くの写真を通常の大判で発行している。//リュジノヴォ・ディーゼル機関車建造工場の研削加工員、第26回ソ連共産党大会の代表者ペトルヒンと息子のアレクサンドル。カルーガ州、1981年

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