初期ロシア印象派の特色:コローヴィンの鮮やかな色彩

 ロシア人画家のコンスタンチン・コローヴィンの12点の作品をご紹介する。

 光と色彩が、モネ、シスレー、ヴァン・ゴッホ、ルノアールなどに代表される印象派絵画の「主な特徴」となった。/ 『秋』、1917年。

 印象派の画家はよく「オンプレネール」(戸外制作、文字通り戸外で描くこと) で作業したので、彼らの作品はそれまでになかった新鮮さと純粋な色彩に満ちていた。これらのスケッチは自発性と日常生活の描写に満ちている。そのような偶然性は、構図の通常の規則に従うものではない。『コーラスガールの肖像』(1883年) は、おそらくロシア印象派の一番最初の作品であるとみなされている。/ 『コーラスガールの肖像』、1883年。

 生存中、コローヴィンの才能は当時の人々に長い間認められなかった。/ 『薔薇』、1917年。
 多大な影響力を持っていたロシア人画家、美術評論家かつ歴史家のアレクサンドル・ベノワは、コンスタンチン・コローヴィンについて次のように記している。「単一の美しい色彩の点を達成しようとしているコローヴィンの絵画は、言うまでもなく多くの人々を困惑させた。コローヴィンの絵画とその描画法は生意気、無頓着で洗練されておらず、効果が不細工だという人もいる」 / 著名なロシア人オペラ歌手フョードル・シャリアピンの肖像、1911年。
 「これらの作品やその中で用いられた色彩が高度に洗練されたもので、画家が本物の芸術家であるなどとは、当時は誰も思っていなかった。」 アレクサンドル・ベノワはこう記した。/ 『ボートで』、1888年。
 「コローヴィンが並外れた色彩の才能を持ち合わせた画家であることは前述した。この才能は、驚くほど忠実で、北部のユニークな自然の美を繊細に再現した彼の自然の描画に表れている」 / 『北部の田園詩』、1886年。
 『バルコニーで。スペイン人女性レオノーラとアンパーラ』、1889年。これはコローヴィンを代表する優れた作品の一つだ。この画家は、1900年の万国博覧会でこの作品に対し金賞を受賞した。彼はスペインで1888年にこの作品を描き始め、モスクワで1889年に完成させた。
 1890年代後半にコローヴィンは、パリのカフェや並木道を描いた一連の作品を制作した。これらの作品は、印象主義の原則を連続的に展開したものだ。この画家は、光と空気に惹かれた。彼の作品は、遠方の透視面のかすみの中に溶け込む湿気に満ちた空気をとらえている。/ 『パリのカフェ』、1890年。
 『夜のパリ。イタリアン通り』、1908年。1890年代のコローヴィンの主なテーマは、パリからの刺激を受けたものだった。彼は、影と黄色い光に包まれた夜のパリの並木道や、早朝の人影のない通りを描いた。
 『庭で』。グルズフ (クリミア)。いっぱいの光に包まれた人物像は、印象派画家たちが好んだモチーフだ。この作品で注意を惹かれるのは人物や物体ではなく、色彩に満ちた光と影の部分が作り出す鮮明なパターンだ。顔は花との区別がつかず、緑色のベンチは木の葉の延長であるかのようだ。
 印象主義は19世紀末のフランスに発し、ヨーロッパの美術界で次第に確立されていった芸術運動だが、コローヴィンという名前は、そのロシア版印象主義と関連付けられている。/ 『コンスタンチン・コローヴィンの肖像』、ヴァレンティン・セローフ、1891年。
 コンスタンチン・コローヴィンは、1861年11月23日 (12月5日) にモスクワで生まれ、そこで育ち、美術を学んだ。第一次世界大戦中、コンスタンチン・コローヴィンはロシア陸軍のカムフラージュのコンサルタントとして働いた。それ以前の1900年代には、彼は演劇に時間を費やした。彼はボリショイ劇場、マリーンスキー劇場やスカラ座の舞台監督として働いた。/ 『モスクワ橋』、1914年。
 彼はカフカース、ウクライナ、スペインとフランスに旅した。パリは、彼の芸術に多大な影響を及ぼした特別な場所であり続けた。コローヴィンはこのフランスの首都で1939年9月11日に死去した。/ 『パリ』、1933年。

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