アメリカ人写真家が見た新生ソビエト連邦

 ブランソン・デクーは、30年にわたって世界中を旅したアメリカ人旅行家兼写真家だ。1931年に、彼はロシアを訪問し、まだ建国されて間もないソビエト連邦の日常生活を写真に収めた。/ モスクワ:ホテル・ナショナル(ナツィオナーリ)のドアマンの肖像写真、1931年。

 ブランソン・デクーは、30年にわたって世界中を旅したアメリカ人旅行家兼写真家だ。1931年に、彼はロシアを訪問し、まだ建国されて間もないソビエト連邦の日常生活を写真に収めた。/ モスクワ:ホテル・ナショナル(ナツィオナーリ)のドアマンの肖像写真、1931年。

ブランソン・デクー
 それぞれの旅行記には約150枚の手作業で色付けした映写用スライドと音楽に合わせた画像が含まれていた。彼はこのショーを「夢の写真」と呼び、「魅惑的なエンターテイメントの新たな形態」と宣伝した。/ モスクワ:食べ物を買うために通りに行列を成す人々のシーン、1931年。
 ブランソン・デクーは1892年10月20日に米国フィラデルフィアで生まれた。スティーヴンズ工科大学に在学中、彼は写真に夢中になった。/ モスクワ:衣装簞笥を運ぶ馬車が通過していく道路、1931年。
 1年間在学しただけで退学した彼は、世界中を旅するという、生涯続くことになる旅に出た。/ モスクワ:キオスクの新聞売りの肖像写真、1931年。
 旅行から戻るブランソン・デクーは、必ず何千枚もの画像を持ち帰った。彼はそれらを公開する新たな方法を考案し、「音楽付き旅行記」と称した。/ モスクワ:レーニン図書館の石段に座った2人の子供の肖像、1931年。
 彼らの作品は世界のありとあらゆる場所をカバーし、それには初期のソビエト連邦の写真も含まれていた。/ バケツに入った水を運ぶ女性たち、レニングラード近く、1931年。
 1932年3月に、デクーは、彼と同じく講師をしていたエルシー・ヴェーラ・スタンレーと2回目の結婚を果たした。彼の人生の最後の9年間、2人はあらゆる場所を旅し、旅行記の公表を続けた。/ 家の前に立つ農夫、レニングラード近く、1931年。
 ブランソン・デクーは、49歳にして、ニュージャージー州の母親の家で亡くなった。/ 木造の家の外の子供たち、レニングラード近く、1931年。
サンクトペテルブルク。エラーギン島:浜でくつろぐ母親と子供、1931年。
 1921年から1941年までデクーは世界中を旅し、およそ8,000枚におよぶガラス製スライドの写真を撮影したが、その対象となったのは歴史的建造物だけでなく、彼が訪問した場所の日常生活でもあった。/ ヨシフ・スターリン(中央)、ソ連軍人で政治家のクリメント・ヴォロシーロフ(左)、そしてスターリンの中枢的グループのメンバーで、ソ連共産党の中央委員会政治局員を務めたミハイル・カリーニン(右)、1931年。
 モスクワ:ソフトドリンク(クワスやモルス)を売る街頭の物売り、1931年。
 サンクトペテルブルク。ネフスキー大通り:店の外で酒を飲む男たち、1931年。

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