「ファッション界」誌が紹介した1910年代ロシア

 「ファッション界」(ロシア語で「モードヌイ・スヴェート」)は、ロシアのサンクトペテルブルクで1914年から1915年にわたって刊行されていた挿絵入りのファッション雑誌だ。当時、20世紀初頭の女性の生活に関するあらゆる題材を扱う女性誌が30以上あった。1917年に革命が起きると、女性の外見がどうあるべきかについて新たな考えが見受けられるようになったが、1914年当時の関心事はエレガントなドレス、魅力的な帽子や上品なパリのスタイルだった。

 「ファッション界」(ロシア語で「モードヌイ・スヴェート」)は、ロシアのサンクトペテルブルクで1914年から1915年にわたって刊行されていた挿絵入りのファッション雑誌だ。当時、20世紀初頭の女性の生活に関するあらゆる題材を扱う女性誌が30以上あった。1917年に革命が起きると、女性の外見がどうあるべきかについて新たな考えが見受けられるようになったが、1914年当時の関心事はエレガントなドレス、魅力的な帽子や上品なパリのスタイルだった。

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 「ファッション界」には、最新のファッション動向、子供向けファッション(自作用プリント柄付き)、ハウスキーピング、レシピ、星占い、裁縫教室の広告、店、石鹸、毛髪染剤、ステー、宝石類などを扱う、ありとあらゆる種類のコラムやセクションがすべて含まれていた。
 1914に刊行されたある版は、復活祭をテーマにした料理レシピと、大人の女性と少女のためのエレガントな夜会服のアイデアを掲載しているため、2倍のおもしろさがある。
 19世紀初頭に始まって以来、ロシアのファッションに最も影響したのはフランスである。レフ・トルストイの長編小説『戦争と平和』で描写されているように、1812年祖国戦争中のロシアの上流社会の女性たちはフランス風の服装をし、主にフランス語を話していた。/ パリの女裁縫師による最高級のエレガントな夜会服。
 スタイルとエレガンスと言えば、パリ、そして一般的にフランスが模範的存在であり、ロシアの女性たちはこぞってそれを見習った。マリア・フョードロヴナ皇后でさえもが、フランスの熟練仕立て屋のシャルル・フレデリック・ウォルトが誂えたドレスを着ていた。
 現代の標準から見てさえ極めてモダンなデザイン:曲線の美しい女性のためのドレスパターン(挿絵)。
 この雑誌は、ウール、木綿、カシミア、サテンを含む様々な生地を使用することを提案した。フリルや装飾には、毛皮、ビロード、シフォンや、さらには花までもが薦められされた。/ 訪問着としてぴったりのスタイリッシュなドレスと帽子。

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