脱産業化時代のウラル山脈~ヨーロッパとアジアの境界

 何千キロも続くウラル山脈は、大陸をヨーロッパとアジアに二分している。 厳密な境界線は存在しない(少なくとも3つのバージョンがある)が、ウラル地方の多くの街は、これらの領域の国境を印した記念碑を好んで設置しており、それをたいへんな誇りとしている。最も有名なオベリスクは、エカテリンブルクとペルミ間の主幹道路沿いに所在する。この記念碑ができたのは2004年のことだが、それ以来、結婚式の一環としてこの象徴的な国境の前で記念写真を撮影する新郎新婦の人気スポットとなっている。

 何千キロも続くウラル山脈は、大陸をヨーロッパとアジアに二分している。 厳密な境界線は存在しない(少なくとも3つのバージョンがある)が、ウラル地方の多くの街は、これらの領域の国境を印した記念碑を好んで設置しており、それをたいへんな誇りとしている。最も有名なオベリスクは、エカテリンブルクとペルミ間の主幹道路沿いに所在する。この記念碑ができたのは2004年のことだが、それ以来、結婚式の一環としてこの象徴的な国境の前で記念写真を撮影する新郎新婦の人気スポットとなっている。

セルゲイ・ポテリャエフ
何千キロも続くウラル山脈は、大陸をヨーロッパとアジアに二分している。
 ここにある唯一の土産屋では、ヨーロッパ/アジアをテーマとする土産品や贈答品が販売されている。
 地元住民は道路沿いに自家製の農産物を販売している。これはロシアでよく見受けられる光景だ。
 最も古い記念碑のひとつは、シベリア横断鉄道沿線のヴェルシナ駅近くにある。これが設置されたのは1957年に開催されたソ連国際青年祭の前夜のことで、極東や東南アジアからの来訪者に対してアジアがヨーロッパに溶け込む地点を示すためだった。
 レショートゥイ村の住民。2004年まではレショートゥイ村はアジアに位置するとみなされていたが、オベリスクがこの路線により近い場所に移動された際に、実は彼らはヨーロッパ人であることが判明した。
 レショートゥイ村は、軍隊の一時的な避難所として、アンナ・ヨアーノヴナ女帝の命により現スヴェルドロフスク州で1735年に創立された。
 エカテリンブルク・ペルミ間の主幹道路沿いのある地主は、2018年FIFAワールドカップのために、このアジアとヨーロッパの境界線上に巨大なスタジアムを建設するという、頻繁に話題に上る計画について話す。
 ウラル山脈で最初のヨーロッパ/アジアの標識が設置されたのは1837年で、ベリョーゾヴァヤ(カバノキ)山にあるペルヴォウラリスク近くのシベリアルート上であった。
 レヴダ・デグチャルスク道のタイヤ店の作業員。かつてはオベリスクがあったが、破壊されてしまった。
 そのバージョンの一つによると、この境界は基本的に河川によって形成されたのだという。写真にあるのはクルガノヴォ村(ヨーロッパ側)とチュソヴァヤ川の光景だ
 クルガノヴォ村のヨーロッパ・アジアの境界。ヨーロッパはこの川の左側にあたり、アジアはその右側にあたる。この境界のロシアの部分は、長さが5524キロにおよぶ。