ウラジオストク建都155周年

ウラジオストク市は2015年7月2日に建都155周年を迎えた。 N.N.ムラヴィヨフ・アムールスキー東シベリア総督は1859年、船でピョートル大帝湾岸を巡視しながら、深く入り組んだ入り江に注目した。イスタンブールの金角湾に似ていたことから、ここを金角湾と呼び、湾岸にウラジオストク(ウラジオストクは「東方を征服せよ」の意)哨所を創設するよう提案した。写真は1902年のウラジオストクの地図。
後にロシア帝国の最後の皇帝となるニコライ2世は、世界旅行、日本訪問そして1891年4月29日の大津事件の後の5月、ウラジオストクに到着した。ここではシベリア鉄道東部起工式典に出席し、自ら土壌の積まれた手押し車を工事現場に押した。
1899年、ウラジオストクで極東初の高等教育機関である東洋大学が創立された。1907年、建物の正面玄関に、満州から運ばれてきた「獅子」像2体が設置された。この獅子像は現在、極東技術大学の入り口を飾っている。
日露戦争は少しだけウラジオストクに影響をおよぼした。それは砲撃による2人の死亡と一部の人の避難である。当時、街は急速に強化され始めた。ウラジオストク要塞は1915年までには完成し、世界最高の沿海領域の要塞と考えられた。
モスクワまでの直線距離は6430キロ、鉄道では9288キロ。東京からの直線距離は1050キロ。写真は1910年のウラジオストク。
ロシア革命後の1918~1922年、日本および三国協商のシベリア出兵により、街も干渉対象となった。
太平洋艦隊の主要基地となったウラジオストクは、1958年から1991年まで閉鎖都市だった。外国人の街への立ち入りは禁止されており、ソ連市民でも他の街から訪れる場合は特別な通行許可証が必要だった。
2012年、ウラジオストクでロシア初のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議が開催された。サミットに先立ち、極東連邦大学および大きな橋3本が建設された。ルースキー島(写真)につながる橋は世界で2番目に高い(324メートル)。
ウラジオストクは、日本の新潟市、秋田市、函館市の姉妹都市である。境港市と鳥取県とは、友好協力協定が結ばれている。活発な文化交流が行われている。
上からのぞむ金角湾
現代のウラジオストク
近い将来、ウラジオストク自由港についての法律が施行される予定。写真は金角湾大橋。