日本海海戦110周年

日露戦争中の1905年5月27日(ロシア旧暦5月14日)、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡の対馬沖で、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将率いる第2太平洋艦隊が、東郷提督率いる日本艦隊と戦いを始める。翌日、ロシア艦隊は撃破され、5000人以上が死亡した。このギャラリーは対馬沖海戦(日本海海戦)に捧げられている。
戦艦「オスリャービャ」
装甲艦「クニャージ・スヴォーロフ」の将校団
「アヴローラ」、「スヴェトラーナ」、「ウラル」、「アドミラル・ナヒモフ」、「皇帝アレクサンドル3世」、「オリョール」、「ボロジノ」
ロジェストヴェンスキー提督の第2太平洋艦隊の航路
第2太平洋艦隊を率いたロジェストヴェンスキー提督。対馬沖海戦(日本海海戦)で負傷し、捕虜になる。帰国した後、軍法会議にかけられ、自らの死刑を懇願したが、海戦で重傷を負った者ものとして、無罪とされた。
駆逐艦「ブイヌイ」が、沈没した装甲艦「ボロジノ」から負傷したロジェストヴェンスキー提督を救出
日本の戦艦「朝日」に乗る戦艦「オリョール」のロシア人船員捕虜
対馬沖海戦(日本海海戦)後の一等防護巡洋艦「アヴローラ」の船尾旗
「連合艦隊」の東郷平八郎司令長官が、日露戦争(1905年)の対馬沖海戦(日本海海戦)で勝利した後、東京の神社に向かう
日本の軍病院で治療を受ける負傷したロシア人
対馬沖海戦(日本海海戦)後のウラジオストク市の「グロズヌイ」(市に到達できた3隻のうちの1隻)