難攻不落の北極:探検から保護まで

地球最北の地域である北極圏は、ユーラジア大陸と北米大陸をまたぎ、北極海をカバーし、その中心には北極がある。

地球最北の地域である北極圏は、ユーラジア大陸と北米大陸をまたぎ、北極海をカバーし、その中心には北極がある。

Mark Troyanovsky / Courtesy of MAMM
地球最北の地域である北極圏は、ユーラジア大陸と北米大陸をまたぎ、北極海をカバーし、その中心には北極がある。
何世紀にもわたり、探検家や学者は極寒の北極に惑わされてきた。16世紀後半には、太平洋から大西洋への北東航路を求めるオランダ人探検家ウィレム・バレンツが、3度にわたり北極圏を船で通過しようと試みた。
18世紀半ばに、ロシア海軍を率いるヴィトゥス・ベーリング船長はシベリアと北米の間にある海峡を発見した。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、フリチョフ・ナンセン、ロアール・アムンセン、ロバート・ピアリー、フレデリック・クックや、エドゥアルド・トールとゲオルギー・セドフを含むロシア人北極探検家など、数多くの探検家たちが北極にたどり着こうと「巡礼の旅」に出た。
19世紀終わり頃には北極探検隊に写真家が加わるようになった。彼らは、写真技術の普及は科学者たちに無限の可能性をもたらすと考えていた。研究者たちは、より確実、および正確な方法で探検のデータを記録することができた。
北極探検家や北極を飛ぶパイロットは、ロシア内外で尊敬と憧れの的であった。誰でも彼らの名前を知っていた。今年11月には、ソ連邦英雄称号を持つ北極開拓者、イヴァン・パパーニン(写真)の生誕120周年があった。1934年に、パパーニンが率いる一行はチェリュスキン岬極地観測所を設置した。その3年後の1937年、パパーニンは世界初の流氷基地、「セーヴェルヌイ・ポリュス」(ロシア語で「北極」を意味する)の所長となった。
アナトリー・リアピデフスキー、シギズムンド・レヴァネフスキーとマヴリキー・スレプニョフを含むパイロット達は、オットー・シュミットの探検隊を救助し、初のソ連邦英雄受賞者となった。
彼らは映画や本の題材となり、国の誇りであった。何世代ものロシア人は、「チェリュスキン隊」、「二人のキャプテン」や「タイミルが呼ぶ」などの映画を見て育った。
今世紀、北極への関心が再燃している。昔は探検、征服と開発が主な目的であったが、今は環境保全や、温暖化により100年以内に消えてしまうかもしれない北極圏の独特な天然資源の保護が目的である。
2013年に、最新の石油採掘用櫓であるプリラズロムナヤ油田掘削施設が稼動し始めた。現在、ロシアの北極棚で石油を産出している唯一の施設である。
現代の探検家にとって北極圏は、独特の生態系を持つユニークな場所である。セルゲイ・アニシモフ、セルゲイ・ドーリャやセルゲイ・マハロフの写真は北極圏の雄大な風景、果てしない凍りついた平野や他では見られない動物を写し、これらの保護は人類にとって重要な課題であるということを我々に知らせてくれる。
北極圏展示は、モスクワ北極圏フェスティバルの一環として11月18日から12月14日まで、マルチメディア芸術美術館(MAMM)にて開催されている。

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