イーゴリ公がアストラハンのクレムリンで蘇る

つい最近、モスクワから南へ865キロ離れたアストラハンの住民は、一風変わった経験をすることができた。市内の中心部で、アストラハン州立オペラ・バレエ劇場が『イーゴリ公』の野外公演を催し、2万人の聴衆がこれを観劇したのだ。

つい最近、モスクワから南へ865キロ離れたアストラハンの住民は、一風変わった経験をすることができた。市内の中心部で、アストラハン州立オペラ・バレエ劇場が『イーゴリ公』の野外公演を催し、2万人の聴衆がこれを観劇したのだ。

<a href=http://e-polonskiy.livejournal.com target=&quot;_blank&quot;> <u>Evgeniy Polonskiy</u> </a>
つい最近、モスクワから南へ865キロ離れたアストラハンの住民は、一風変わった経験をすることができた。市内の中心部で、アストラハン州立オペラ・バレエ劇場が『イーゴリ公』の野外公演を催し、2万人の聴衆がこれを観劇したのだ。
その会場と自然の景観は、アストラハン要塞(クレムリン)内部にある大聖堂広場が提供したものだ。特別に舞台を構築しないという決定を下したことで、この壮大な景観は単なる巡回劇場のような様子を呈さずにすんだ。
昇天大聖堂自体も重要な役を演じた。舞台上で火の手が上がったり崩壊する場面が展開する合間に、突然予期しない角度から大聖堂がライトアップされるのだ。それはイゴーリとヤロスラーヴナの姿を投射するための背景幕の役目も果たした。
演劇と音楽の要素に加えて、この上演の制作者たちはテクノロジーを最大限に活用した。大聖堂の建物には上演の動画が映写され、また、入場できなかった人たちのために、アストラハン州立オペラ・バレエ劇場の外にある公園で生中継された。
大聖堂の建築の集合体に照明と動画の投射を別々に行うことで、この歌劇の構成要素が個別に表現された。これにより、オーケストラとソロイストの音声と共に合奏を成す、独自の「ライブサウンド」が演出された。
アストラハン州立オペラ・バレエ劇場は夏いっぱいをこの上演の準備に費やし、それには一座すべてが参加した。女性の役は、劇団の代表的なソロイストたちによって演じられた。エレーナ・ラズグリャエワ(ヤロスラーヴナ)とナタリア・ヴォロビヨワ(コンチャーコヴナ、コンチャーク汗の娘)。
男性の役は、主に特別出演のソロイストによって演じられた。マリンスキー劇場のアレクサンドル・ニキーチン(イゴーリ・スヴャトスラーヴィチ)、ベラルーシ国立オペラ・バレエ劇場のアンドレイ・ヴァレンティイ(ヴラジーミル・ヤロスラーヴィチ、ガーリチ公)、およびアゼルバイジャン・オペラ・バレエ劇場のアリ・アスケロフ(コンチャーク、ポロヴェツの首長(汗))。
2時間半の上演はあっという間だった。驚くべきことではないが、舞台上の出来事に現代の状況を重ね合わせた何千人もの観客は、その歴史的背景を認識し、共鳴する愛国心の高まりによって団結心を感じていた。
このオペラを書いたアレクサンドル・ボロディンは、ロシアにおいて交響曲と四重奏曲の分野を確立した創始者の一人であるとみなされている。ボロディンは、オペラ『イーゴリ公』の創作に18年以上を費やした。
よくあることだが、人生のあらゆる出来事が、彼に同時にふりかかったのだった。そのために創造的な緊張が最高頂に達した。彼自身の科学、地域社会と教育的指導に対する義務と同様に、妻の病気は、彼の直接的な関与を要した。
残された最後の力を振り絞って、ボロディンはロシアで初めての英雄伝的叙事詩のオペラ『イゴーリ公』の完成を急いだ。また、ボロディンが創作したのはオペラの音楽だけではなかった。彼は台詞や歌詞も作詞した。1887年の彼の突然死により、クライマックスを迎えていたオペラの作曲作業は中断された。
この作曲家は古ルーシ語の叙事詩『イーゴリ軍記』(『イーゴリ遠征譚』としても知られる)の台本を改作した。この叙事詩は、1185年に侵攻してきたクマン人/ポロヴェツ族に対するルーシのイーゴリ・スヴャトスラーヴィチ公の遠征を物語ったものだ。彼はまた、キエフ大公国の2つの年代記からも題材を取り入れた。
彼の友人で同業の作曲家だったニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフにより、3年間をかけてこのオペラは完成された。実は、このオペラは既に下書きされてあり、ボロディンはそれを友人の前で弾いて披露したことさえあった。
驚愕すべき音楽的記憶力により、グラズノフが逸失している部分を再現し、リムスキー=コルサコフが、ボロディンのスタイルに忠実に従いながらオーケストラ用の編曲を手がけた。
この作品は1890年に、ロシアのサンクトペテルブルクで初演された。1914年には、ニコライ・リョーリフによるスケッチを基にした舞台セットを用いて、このオペラの本格的な上演がロンドンで行われた。リョーリフに加えて、コンスタンティン・コローヴィンやイヴァン・ビリビンといった著名な画家たちが、衣装や舞台セットのスケッチを描いた。