失われた学校と亡くなったクラスメートたちに別れを告げるベスランの子どもたち

10年前にベスランの学校で人質にされた子どもたちは、既に高校を卒業している。5月末、ロシアの他の高校で卒業生がするのと同じように、クラスが終わると彼らも「最後の鐘」を鳴らした。

10年前にベスランの学校で人質にされた子どもたちは、既に高校を卒業している。5月末、ロシアの他の高校で卒業生がするのと同じように、クラスが終わると彼らも「最後の鐘」を鳴らした。

Oksana Yushko
彼らが人質にされたのは、2004年9月1日の朝、北オセチアのベスラン第一中等学校で新年度の始めとなる始業式の最中のことだった。
2日半にわたり、テロリストたちは1,100人以上もの人々を人質として拘束し、その中には児童、保護者や学校のスタッフも含まれていた。彼らは爆薬でいっぱいになった建物に監禁された。
3日目、学校内で複数の爆発があり、火災が発生して、その結果建物の一部が倒壊した。最初の爆発後、人質たちは学校から走って逃げ出し始め、治安部隊が建物内に突入した。
その後に繰り広げられた混乱のなかでの銃撃戦には市民たちも武器を持って参加し、27人のテロリストが死亡した。殺害されずに逮捕された唯一のテロリストには終身刑が宣告された。
崩壊したこの市の体育館は建て替えないという決定が下された。大多数の生徒は2005年に新築されたコミンテルナ通りの新しい学校に転校したが、実際のところ、これは元の学校の通り向かいに建てられたものだ。悲劇的な事件を想起させないように、この学校には番号が付けられなかった。
「私たちのクラスやその他の人たちは、多くのことを目にしました」とアミーナが微笑しながら語る。「私たちはギリシャに、それからアメリカにも行きました!ドイツとイタリアにも行きました。ヨルダンとイギリスへの旅行もありました。それから[私の友達のファリーザは]モスクワの学校に訪問しました」
「子どもが一人殺害されたのに、もう一人は助かったという家族が何世帯もあります」とファリーザは語る。「そして彼らは一人目の子どもに執着するあまり、二人目の子どもの存在を忘れています」
「人は善い性質を持って生まれてくるものです。しかし、人によっては子どもの頃に愛情を経験しなかったため、タフに育ってしまうんです。子どもの頃に叱られてばかりの人もいます。人々が悪事を働くのは、彼らが自分について憤懣を感じているか、自分の存在意義を何らかの形で訴えたいからなのだと思います」とこの卒業生は語った。
「テロリストたちは悪くありません」とヴィカは言う。「当時、ある女性がテロリストの一人に、あなたたちは実は子どもなのだと言いました。その時の彼の返答は、自分も子どもを亡くしたのだ、というような内容でした。だから彼は復讐したのです。彼も苦痛に耐えていた。彼も家族を失ったのです。」
「他の人たちに対しても・・・やはり本当にかわいそうだと思います。それがなぜだか分かりますか?それは一種の催眠術のようなものだからです。彼らはアラーの名の下に、あるいは他の誰かのために死ぬべきで、そのために人々を犠牲にすべきだと信じるように操作されていたのです。つまり、彼らを指導した悪者がおそらくいたのでしょう。彼らは誰かを殺すためにこの行為を行ったわけではありません。彼らは、これをすれば自分は何とかなると信じたから殺したのです」。ヴィーカはこのように語った。
「他人とは占拠事件について話したくありません」とヴィーカは言う。「中にはテロリストについて話を訊くためにここまでやって来る人がいます。多くの人たちは、ジャーナリストと同様に、それが目的でここに来るのです。彼らは、ヒーローのような私たちが、事件後もこうして生活しているという事実をレポートするのです。なんとかして、私たちは人生に幸福を見いだすことができている、と。彼らはいつも、同じことについてばかり話します。でも、生きるだけなら誰でもできます。何はともあれ人生は続き、過去に起きたことは私たちには変えられません。私たちはその正反対です。現在は、自分たちが笑うこと、楽しむこと、人生を満喫することについて、よりリラックスできるようになりました。」
11年生の生徒たちは、式典で、亡くなったクラスメートの墓に花を添えた。彼らは慰霊碑に「2014年度卒業生」と書かれたリボンを付けた。
ベスランの名は、人類史上で犯された絶対最悪の残虐行為の一つとして、永遠に関連づけられるであろう。