国家とイメージ:ソ連の黄昏の象徴

1981年に行なわれた第21回ソ連共産党大会は、レオニード・ブレジネフが参加した最後の大会であった。これらのバッジは大会参加者に配られた物である。
西欧やアメリカから来た観光客用のソ連土産のバッジ。
1991年まであった「10月の星」バッジの最終版。「10月組織」は1923年に設立され、当初、1917年の10月革命参加者の子供達が参加する組織だった。このようにして、「オクテャブリャタ」(10月っ子)は作られた。後に、10月っ子と呼ばれるのは7歳から9歳の子供に限られるようになった。
1975年に地域限定版ソ連バッジが発行された。これは現在も残る数少ないバッジの一つである。
このバッジは、1980年にソ連を訪れた観光客に人気が高かった。
1980年モスクワオリンピック記念バッジ。毛がふさふさした子熊がマスコットだった。このバッジは射撃競技の参加者に配られた物である。
1985年にモスクワで第12回国際青年学生祭典が開催された。このバッジは参加者に配られた物である。
非常に数が少ない限定品のバッジ。1985年の国際青年学生祭典の初日にしか配られなかった。
ソ連のお土産セット。このバッジは第22回国際青年学生祭典の時のものである。
このバッジはソ連の映画プロデューサー代表団のメンバーに配られた。モントリオール万国博覧会でのソ連の展示は、未だにモスクワの国民経済達成博覧会(ヴェーデンハー)で展示されている。「労働者とコルホーズの女性」像の後ろにある。
1983年モスクワ国際映画祭の観客に配られたバッジ。世界各国からの40以上の映画が上映された。この様な映画祭に参加した海外の映画は、ソ連でも幅広く公開された。
ソ連の衣料品店職員用のバッジ。グム百貨店やツム百貨店など、大きなデパートの店員は、大抵この様なバッジを身につけていた。
モスクワにある、店舗のマネージャー用バッジ。(1981年版)ラペル(折り襟)につける物。
スポーツの試験に合格したソ連国民には、この「労働と祖国防衛」バッジが配られた。

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