ウラル山中のロシア人仏教徒たち

スヴェルドロフスク州のウラル山脈にあるカチカナル山の標高は、わずか887メートルだ。同名の小都市(モスクワからの距離は1607キロ)がこの山のふもとにある。ロシア唯一の山の仏教僧院がこの地にできてから何年もたつ。

スヴェルドロフスク州のウラル山脈にあるカチカナル山の標高は、わずか887メートルだ。同名の小都市(モスクワからの距離は1607キロ)がこの山のふもとにある。ロシア唯一の山の仏教僧院がこの地にできてから何年もたつ。

Andrei Senushkin
スヴェルドロフスク州のウラル山脈にあるカチカナル山の標高は、わずか887メートルだ。同名の小都市(モスクワからの距離は1607キロ)がこの山のふもとにある。
この山は、私有会社の所有地内にあり、山へのアクセスは制限されている。この僧院は私有地に建てられているため、いつでも撤去されるおそれがある。
しかし、ここに住む僧侶たちはいつでも来訪者を快く迎え入れている。彼らはすぐに、「お茶を飲む」ように勧めてくる。これはおそらく、この山で最も頻繁に使われる言語表現だろう。この言い回しは実際にお茶を飲むことを指しているわけではなく、ウラル山脈の東部の現地語では人々が集まって雑談をすることを表している。
ウラル山脈はもともと、11世紀から14世紀にかけてロシア民族によりウラル山脈の東部に追いやられたロシアの少数民族、マンシ族の居住地だった。マンシ族はカチカナル山自体に居住してはいなかったが、この地を力が宿っている地とみなし、宗教的行事を行うのに利用した。
移住してきたロシア人たちは、この地に埋蔵されているプラチナに目を付けた。こうして「白金ラッシュ」が始まった。1950年代後半には、採掘と処理工場が設立された。
工場が建てられた盆地は当初、この山から離れたところにあり、そこはテクノロジー区域に指定されていなかった。地元住民はここにリラックスしに来た。現在は観光客のグループがこの地域の山道を歩きに来る。ソ連時代には僧院はなかった。最初に山道を整備するというアイデアは、1995年に発想された。
これを実際に作ったのはミハイル・サンニコフさんだった。代々軍隊で活躍してきた家族に生まれた彼は、アフガニスタンで偵察隊を指揮した。彼は負傷すると退役し、遺体安置所の管理人や河川運輸船団の調理人を務めたり、美術学校の外装に携わったりしてきた。27歳だったミハイルさんは、1980年代の終わりにイヴォルギンスキー・ダツァン(ロシアにおけるブリヤート人のための仏教僧院および大学)で出家した。出家した彼には、テンジン・ドクチトという法名が与えられた。モンゴルでも仏教を学んだラマ・ドクチトは、その後、ウラル山脈でダツァン(チベット系仏教の寺院)を建立するという命を受けた。
その理由は単純だった。山脈の東にはブリヤートの寺院があり、その西にはサンクトペテルブルクのグンゼチョイネイ・ダツァン(欧州最初の仏教寺院)が、そして南にはカルムイクのダツァンがあったが、ロシア中央部のウラル山脈地帯には仏教寺院がなかったからだ。彼らがダツァンの候補地としてカチカナル山を選定したのは、それがヨーロッパとアジアの境界線上に位置していたからだ。
この僧院は「シェー・チュップ・リン」と名付けられた。この名前は、「実践と悟りの場所」(または「学習と実践の場所」)という意味である。この僧院の建立はテンジン・ドクチトにより1995年5月15日に開始され、最初の数年間は彼が1人で作業を行っていた。最初の建物はほぼ全体が木造になっている。1998年に発生した火災により、それまでに建てられた建造物が全焼した。ラマと少人数の学生グループは、何もかもを一からやり直さなければならなかった。
この僧院における生活のリズムは閑かなもので、学習、建材を収集するための外出、お茶、指導、そして自己啓発の時間が組み込まれている。スケジュールに従うことは強制されてはいないが、たいていは仏教を学びたい人しかここまで足を運ばない。学習内容にはサバイバル技術も含まれている。
あらゆることについての新発見がたくさんある。だが、「僧侶たちは建材のための資金をどこから調達しているのか」といった質問や「僧侶たちが土地の譲渡証書を取得しないのはなぜか」といった質問が浮かんでくる。ラマは、重要なのはこの寺院ではなく、プロセスなのだと答える。お金や食べ物についての説明はこうだ。身体のニーズに応じて食べ物を摂取した場合、その食べ物が食事になる。身体が生きているということは、食事があるはずだということなのだ。
近隣の仏教寺院に対する採掘・処理工場の態度は、21世紀になって大きく変化した。この工場は、鉄鉱石を年間55万トンも生産している。同工場は新たな鉱床の開発に着手しているが、それに伴う爆発の衝撃により、この山が破壊されてしまうリスクがある。彼らは、カチカナル山の僧院は時代遅れだとみなしている。

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