エルミタージュ美術館見学

小エルミタージュは、サンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館を構成する建物の1つである。 美術館コンプレックスは、冬宮、旧エルミタージュ、小エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場、エルミタージュ宮殿の予備区画、そしてガレージという合計7つの建物により構成されている。 /  新エルミタージュの屋内。 フランドル派

小エルミタージュは、サンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館を構成する建物の1つである。 美術館コンプレックスは、冬宮、旧エルミタージュ、小エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場、エルミタージュ宮殿の予備区画、そしてガレージという合計7つの建物により構成されている。 / 新エルミタージュの屋内。 フランドル派

Eduard Gau
小エルミタージュは、サンクトペテルブルクの国立エルミタージュ美術館を構成する建物の1つである。その豪華なインテリアを覗いてみよう。
小エルミタージュの南パビリオンは、女帝エカチェリーナ2世の命により、1765年から1766年にかけて建築家ユーリ・フェルテンによって建造された。 / 小エルミタージュの屋内
この建物のファサードには、当時衰え初めていたバロック様式と次第に主流になりつつあった古典主義の要素が組み合わされている。 / 小エルミタージュの屋内。 ニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子の間
後の1767年から1769年には、建築家のジャン=バティスト・ヴァレン=デラモが、ネワ川のほとりに小エルミタージュの北パビリオンを以前の古典様式を用いて建造した。 / 小エルミタージュの屋内。ニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子の寝室
エカチェリーナ2世が、北パビリオンで「小エルミタージュ」と呼ばれるゲームやショーが行われる夜の集いを催したことから、この建築の集合体に同じ名前が付けられた。 /  小エルミタージュの屋内。ロマノフ・ギャラリーの北ウイング。
ホールとそれをはさむスイート2室は、ネヴァ川を眺めることができるように配置された。 東スイートには下の階で使用されていた重いテーブルが置かれた。 それをホールに運ぶのにはクレーンが用いられた。 / 小エルミタージュの屋内。 スイート
これらのギャラリーに展示された美術品が、後に帝国美術館のコレクションとして受け継がれた。 / 小エルミタージュの屋内。 サンクトペテルブルクを見渡すギャラリー
小エルミタージュのパビリオンの南部には冬の庭園があり、その中心には銅像が立っていた。手の込んだ装飾が施された植木鉢に大葉月橘や銀梅花の木が植えられ、庭園上段の欄干を飾った。 冬の庭園が存在したことは、アーカイブに収蔵されている文書が示すように、このパビリオンが当初「オランジュリー」と呼ばれていたことからも説明がつく。 / 小エルミタージュの屋内。 冬の庭園
エカチェリーナ2世が収集した絵画や彫刻は、現在エルミタージュの貴重な財宝となっている。 これらは、この美術館の将来のコレクションの基盤となった。 あらゆる建物の壁がいくつもの層の絵画で飾りつくされた。 / 小エルミタージュの屋内。 東ギャラリー
小エルミタージュが1775年に竣工する前から、常に拡張し続けるコレクションを収蔵するのに、この建物が小さすぎることはエカチェリーナ2世にとって明白だった。 1771年に、現在は新エルミタージュと呼ばれ、美術館として利用されている大エルミタージュを建造することが決定されたのは、こうした理由によるものだ。 /  新エルミタージュの屋内。 オランダおよびフランドルの絵画
ガウは、皇帝ニコライ1世の命により、1850年代より冬宮の屋内を水彩で描き始めた。そしてその少し後には、小エルミタージュと新エルミタージュの威風堂々たる内装に着手した。 /  新エルミタージュの屋内。 ロシア絵画
エドゥアルド・ペトロヴィッチ・ガウ(1807~1887年)は、「建築物水彩画」の巨匠だった。 彼は常に、対象物の遠近法に特別な注意を払った。 彼の芸術的な「内装の肖像画」は、ほとんど写真と同じくらい正確で、その描写は驚くほど微細である。 /  新エルミタージュの屋内。 イタリア美術
ガウは後に(アレクサンドル2世の治世にあたる1860年と1870年)、サンクトペテルブルクのニコライェフスキー宮殿とミハイロフスキー宮殿に加えて、大クレムリン宮殿(モスクワにおける皇帝の公邸)の絵画も手がけた。 /  新エルミタージュの屋内。 階段の最上部もっと読む:ロシア芸術を知れるアプリ5選>>>