ロシアは広大な北国で、多くの人々はロシアの冬は果てしないと感じる。春の始まりである3月、ロシアの風景はまだ雪に覆われており、長い冬のあと太陽がようやく雲の隙間から覗いている。//「3月の太陽」、1915年 、コンスタンチン・ユオン
Konstantin Yonロシアの典型的な春の日はこのような情景である。吹きだまりは減っているが、子供達が雪に覆われた丘でソリ遊びをしている。3月上旬は、ロシア伝統のカーニバル「マースレニツァ」の時期であり、冬を見送る時だが、冬はまだまだ居座っている事が多い。 // 「晴れた春の日」、1910年、 コンスタンチン・ユオン
Konstantin Yuon19世紀、サンクトペテルブルクの春には洪水が伴う事が多かった。ネヴァ川がフィンランド湾に流れる沼地に建てられたからである。サンクトペテルブルクの300年の歴史において、およそ300の洪水が記録されている。 // 「サンクトペテルブルク付近での春」、1896年、イヴァン・ヴェルツ
Ivan Welz「ミヤマガラスの飛来」(1871年)はロシア人画家アレクセイ・サヴラーソフの有名な絵である。彼はコストロマ(モスクワから340キロ)付近のモルヴィティノ村でスケッチをした。典型的な早春の情景を描いたこの絵に登場する復活教会は今日も見ることが出来る。
Aleksei Savrasovセルゲイ・ヴィノグラドフは装飾的なプレネール(外光)派の画家であった。彼の得意とするジャンルは、自然光の風景画だった。//「 春が来る」、1911年、セルゲイ・ヴィノグラドフ
Sergei Vinogradovレヴィタンはしばしば目覚める自然をテーマとした。明るい太陽の光線と夏の熱さはまだ遠いが、雪が溶け始め、川から氷が消えていく、北部ロシアの春の情景を、彼はこよなく愛した。/ 「早春」、1899年、イサーク・レヴィタン
Isaak Levitanこの絵を描いた画家ボグダノフ=ベルスキーの人生は矛盾だらけであった。彼は農夫の息子だったが、帝国芸術アカデミーで有名なロシアの画家、イリヤ・レーピンに師事した。ボグダノフ=ベルスキーは素晴らしい教育を受けたが、ロシアの自然と常に密接な関わりを持ち、彼はしばしば農民、その子供達の学んでいる姿や、素朴なロシアの田舎を絵の題材にした。 / 溶けた水、1933年、ニコライ・ボグダノフ=ベルスキー
Nikolai Bogdanov-Belskiこの絵も、春に捧げられたイサーク・レヴィタンの絵である。川が溢れ、洪水が起きる瞬間を描いているため、ロシア語では、この絵の題名は「春・大きな水」である。 / 「春の水」、1897年、イサーク・レヴィタン
Isaak Levitanペトロフ=ヴォドキンはこの絵で春を描いたものとしては珍しい情景を描いた。画家は、既に緑が豊かな春を描いたのだ。後年、ペトロフ=ヴォドキンは抽象画から離れ、庶民を絵の題材とするようになった。 / 「春」、1935年、クジマ・ペトロフ=ヴォドキン
Kuzma Petrov-Vodkin春を題材としたクストディエフのこの絵には軽快さがある。彼は、春が訪れ、生命が目覚める喜びを描こうとした。 /「 春」、1921年、ボリス・クストディエフ
Boris Kustodievヴェネツィアントフは農民や労働者をしばしば描いた。この絵では、農婦だけではなく、周りの情景もが春の訪れを喜んでいる様に見える。 / 「春の畑」、アレクセイ ・ヴェネツィアントフ
Aleksei Venetsianov1917年の革命の際、スタジオとキャンバスと絵の具を失ったコンスタンティン・コロヴィンは辛い時期を送った。モスクワから、トヴェリ州(モスクワから371キロ)のウドムリャ湖のほとりにあるオストロヴノに移り住んだ彼は記憶を頼りにし、厚紙に細密画を描いた。/「春」、1917年、コンスタンティン・コロヴィン
Konstantin Korovinスタニスラフ・ジュコフスキーは一家の邸宅で育ったが、父親の死後、借金の整理で実家を失った。彼はモスクワに移り住んでからも、「貴族の巣」を描き続けた。(「貴族の巣」とは、ツルゲーネフの小説の題名であり、代々受け継がれる貴族の邸宅を指す。)この絵で、復活祭を祝うために並べられた食卓は春を示している。 / 「早春」、1902年、スタニスラフ・ジュコフスキー
Stanislav Zhukovskiイヴァン・クリコフはこの無名の少女の肖像画を1912年に描いた。彼は芸術アカデミーを卒業したばかりで、この時期に多くの肖像画と風景画を描いた。第一次世界大戦前、彼は放置された邸宅を訪れ、そこにあった絵や彫刻や書類の模写を行なった。 / 「春」、1912年、イヴァン・クリコフ
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