包囲下のレニングラード

70年前の1月27日午後8時、最後の障害物が除去されたことを記念して、324丁の銃により24発の祝砲が撃たれた。祝砲が撃たれたのは、独ソ戦のさなかではこの時だけで、それがモスクワで繰り返されることはなかった。レニングラード包囲戦(1941〜1944年)の痛々しい写真と、現在の明るい雰囲気のサンクトペテルブルクを対称する写真のコラージュをロシアNOWがお届けする。
ネフスキー大通りの開始地点。有名なアドミラルチェイスキー(海軍省)の尖塔が背景に見える。
歩行者が、ネフスキー大通り174番地に置き去りにされたトロリーバスの側を通り過ぎていく。停電が続く中、公共交通機関を運行することは不可能だった。
フォンタンカ運河の岸にあるロモノソフ広場の防空気球と兵士たち
聖イサアク大聖堂の前で畑仕事をする女性たち。この都市に食糧を供給するために、市の多くの公園が畑にされた。
ネフスキー大通りとサドヴァヤ通りの交差点。歩行者が部隊の側を通り過ぎていく。
聖ウラジーミル大聖堂近くのドミトロフスキー通りで爆撃により被害の程度を調べる市民たち。
華麗な噴水で名高い離宮ペテルゴフ。ラズヴォドナヤ通り3番地の警察署の外で警備にあたるナチスの警察官たち。
プーシキンのエカテリーナ宮殿(ツァールスコエ・セロー)。宮殿を略奪するドイツ人兵士たち。
エカテリーナ宮殿外のソビエト諜報員たち。
離宮ペテルゴフ。馬に乗ったソビエト軍兵士。彼らの後方には大宮廷とサムソン噴水の残骸がある。
コンノグヴァルデイスキー(近衛騎兵隊)大通りの若い女性たち。
ズヴェリンスカヤ通りで行進の練習をするペトログラード地区の生徒たち。ペトロパヴロフスク要塞が後方に見える。
列をなした捕虜たちがモスコフスキー大通り186番地を通り過ぎていく。
フォンタンカ運河のスタロ・カリンキン橋の近くで立ち止まる路上巡回班。
ヴォズネセンスキー大通りとフォンタンカ運河が交差する地点で、爆撃により完全に残骸と化した建物の前で交通整理にあたる女性。