モスクワ州、モジャイスク市の牧場「アヴァンポスト」では、仮装乗馬イベントが開催されている。興味がある者なら誰でも犬を使った19世紀風の狩猟を楽しむことができる。
Artem Zhitenev/ RIA Novostiここでの狩猟は、猟犬を使ったロシアのルールと伝統に沿って行なわれる。まず、当時の衣装を着た参加者は 「ロヴニャシュカ」(ロシア語で「まっすぐな線」を意味する)と言われる列に並ぶ。貴族の狩猟は野原で行なわれ、猟犬は少なくとも三つの群れを使う。
Artem Zhitenev/ RIA Novosti狩人達が、猟犬を放す。獲物が殺されるのを見たくない参加者がいる場合、猟犬を放すのを遅らせ、兎か狐を有利にさせる。この場合、獲物が逃げ切る事がある。
Artem Zhitenev/ RIA Novosti昔、狩猟は、放浪と戦いを続ける戦士にとって、うってつけの訓練だとされてきた。ほとんど全てのロシアの貴族は、狩猟の重要性を理解していた。
Artem Zhitenev/ RIA Novosti貴族の狩猟には、鷹狩りと猟犬狩りの二種類があった。古代より、鷹狩りは貴族の娯楽として世界中で有名であり、ロシアの貴族の楽しみであった。
Artem Zhitenev/ RIA Novosti17世紀の終わり頃、貴族の狩猟は、皇帝も行うようになった。狩猟の特別な儀式や典礼には、身分の低い者や外国人に皇帝と国の威信を示す意図があった。
Artem Zhitenev/ RIA Novosti厩舎の職員が、狩猟で皇族が乗る馬の儀式用馬具を用意した。鞍職人は鞍を作り、ハーネス職人はハーネスを作り、鍛冶屋は蹄鉄と鐙を作り、銀細工師は装飾を作った。
Artem Zhitenev/ RIA Novostiアレクセイ・ミハイロヴィッチ帝(1629〜1676年)が君臨している間、狩猟には、近隣諸国との関係改善という政治 的な意味合いが含まれるようになった。鷹や小長元坊(コチョウゲンボウ)は外交の贈り物となり、それらを所有する事はステータスのシンボルであった。
Artem Zhitenev/ RIA Novostiアレクセイ・ミハイロヴィッチ帝の鷹狩りには、100人の鷹匠が付き、彼らは年中昼も夜も鷹達と過ごして面倒を見ていた。鷹 はコローメンスコエ、ソコルニキとポクロフスコエの宮殿にいた(ソコルニキとコローメンスコエは、現在モスクワ市の一部であり、ポクロフスコエはモスクワ州 の都心から45kmのところにある)
Artem Zhitenev/ RIA Novostiグレーハウンドやブラッドハウンドを使った猟犬狩りは、コンペのためだけに行なわれた。猟犬の25〜28の群れが平野で狩りに出 た。通常、ペルシノの近くで狩猟が行なわれた。秋になると、さらに遠くの平野へも繰り出した。
Artem Zhitenev/ RIA Novostiロシアと外国の政府高官などで狩りのトロフィーを交換する事は、近隣諸国との関係強化に役立ってきた。これらの贈り物は、今ま での好意や親切を思い出させるだけでなく、今後ともよろしくお願いします、という送り主の願いが込められていた。
Artem Zhitenev/ RIA Novostiグレーハウンドやブラッドハウンドを使った狩猟の場合、猟犬係は林や沼や牧草地から空き地に追い出された動物をブラッドハウン ドに追わせる。空き地では、狩人達がグレーハウンドを連れて待ち構えており、タイミングを見計らって犬を放す。グレーハウンドは、獲物を追っているブラッド ハウンドの後を追い、獲物を捕まえるまで走り続ける。獲物が捕まると、狩人は馬から飛び降り、犬から獲物を取り上げる。
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