ヴヴェデンスコエ墓地:幽霊となった有名人たち

モスクワで最も画趣に富む場所の一つであるヴヴェデンスコエ墓地へようこそ。

モスクワで最も画趣に富む場所の一つであるヴヴェデンスコエ墓地へようこそ。

Ricardo Marquina
ヴヴェデンスコエ墓地は、モスクワのレフォルトヴォにある、様々な信仰の人が埋葬された歴史的な墓地だ。黒死病が流行った18世紀に設立された。
ルシエン・オリヴィエは、ベルギー出身のフレンチ料理人で、オリヴィエ・サラダの発案者だ。このサラダは今でもロシアのお祝い 事には欠かせないが、オリジナルのレシピは彼が墓まで持って行ったと言われており、知られていない。彼の墓はここにある。時々失われたレシピを求めて彼 が墓地をさまようと言われている。
ヤコヴ・ダニロヴィチ・ローゼンタールもここに埋葬されている。彼はゲルツェン・ハウス・レストラン・グループの支配人であり、ミハイル・ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』に出てくるアルチバリド=アルチバドリッチのモデルになっている。
当時の人々の回想によると、ローゼンタールの外見はハロウィンのパーティーにうってつけだった。「背が高く威厳がある姿で、アッシリア風の尖った濃いひげは胸まであった」。彼のあだ名は「ヒゲ」だった。
ブルガーコフの小説には、邪悪で神秘的な彼岸の人物が数多く含まれる。例えば、アザゼルは、古代ユダヤの悪魔、色魔で殺人者だ。角と蹄という風貌にその悪魔的なルーツが伺える。
巨匠とマルガリータに感銘を受けたローリング・ストーンズのリード・ヴォーカル、ミック・ジャガーとリード・ギター、キース・リ チャーズは「悪魔を憐れむ歌」を書いた。当初、歌の題名は「私の名前は悪魔」でミック・ジャガーがルシファーの為に歌った。
夜になると、タマラは暗いゴシック様式の彫刻に囲まれた。彫刻の不動の視線は昼間でも不気味だが、夜ともなれば、いくら勇気のある者でも怖じ気づく。
朝になり管理人が門を開けると、何もなかったかのように、にこやかな少女が出てきた。しかし、タマラの姿はなく、ヴヴェデンスコエ墓地に彼女が現れる事は二度となかった。
この手の話によくあるように、彼女は伝説の人となった。人々は彼女をモスクワの様々な教会で見たと言う。言い伝えによると、未だにコップを持って施し物を集めているらしい。 / 墓石に使われた「死の島」(ベックリン)の絵の一部。
モスクワではヴヴェデンスコエ墓地に関する伝説がいくつかある。例えば―。教会のそばで、施し物を受け取る為にコップを持って立っていたタマラは、この墓地を訪れた。教会の近くに庵室のようなテントを作った。

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