アルバート通りの今昔

一般に、単に「アルバート」と呼ばれているアルバート通りは、モスクワの歴史的な中心部に1キロほど続く歩行者天国の通りだ。

一般に、単に「アルバート」と呼ばれているアルバート通りは、モスクワの歴史的な中心部に1キロほど続く歩行者天国の通りだ。

Igor Stomakhin
一般に、単に「アルバート」と呼ばれているアルバート通りは、モスクワの歴史的な中心部に1キロほど続く歩行者天国の通りだ。
アルバートは、少なくとも15世紀には存在していたため、ロシアの首都に現存する最も古い通りのひとつであると言われている。この通りは、モスクワのアルバート地区の中心になっている。
現実には、今日のアルバートは、何世紀にもわたってモスクワの知識人を魅惑してきた歴史的な雰囲気を部分的に失っている。
かつての地元の若者は、この通りで詩を詠む詩人、歌を作曲する音楽家や絵画を描くアーティストだった。この伝統は現在でも続いている。
1980年代には、ソビエト連邦にロックバンドが出現し始めた。彼らのファンは、たいていアルバートに集まった。ここで彼らはギターを弾きレコードを交換し合った。
バンド「キノー」のリードシンガー、ヴィクトル・ツォイの唄は、80年世代を代表する賛歌だった。キノーは1987年にロシアの ツアーを開始し、若者の間で名声をものにした。バンドのリーダーだったツォイの死後、アルバート通りとクリヴォアルバツキー横通りの交差点に、「ツォイの 壁」が出現し、今日これはモスクワの観光名所のひとつとされている。
ヴィクトル・ツォイは、今日クリヴォアルバツキー横通りに足を運び、ツォイの音楽と歌詞を思い出しながら壁の落書きを眺め、他の ファンに出会ったりする多くのファンに、ロックミュージックの遺産を遺したといえる。ツォイのファンの間では、壁の近くに特別に設置された灰皿に、火をつ けた吸いかけのタバコを遺していくことが慣習になっている。
ソビエト時代の詩人で作曲家のブラート・オクジャワは、40年前にアルバートについての忘れがたい歌を作詞しているが、これはす べてのモスクワっ子に愛されているものだ。「おおアルバートよ、我がアルバートよ、お前はわたしの故郷… お前が私に強い衝動をかき立てる。」
1917年の10月革命後、ボリシェビキは、ロシアの他の地域でもそうだったように、アルバートの個人所有の不動産を没収し、こ れらの建物を公共財産にした。それでも、アーティストがたむろする場所としての通りの評判がすぐになくなることはなかった。
1920年代を通して、この傾向に変化が現れ始めたが、それは農村部から首都に向かって多数の人口が流入してきたため、住宅供 給に多大な負担がかかったためである。こうした理由から、かつてアパートだった建物は、コムナルカという、もともと一世帯用だったアパートが複数家族が住 めるように仕切られた共同住宅に改築された。
その後この地域は、ソ連時代の共産党の高官たちが住む地区へと次第に変貌していった。この時代は、アナトーリ・リイバコフの小説『アルバート街の子供たち』に描かれている。
今日のアルバートは、古き良きモスクワの創造性に満ちた雰囲気に浸ったり、ストリートミュージシャンの音楽を聴いたり、オリジ ナルの土産品を購入したり、アルバート門からスモレンスカヤ広場までゆっくりと散歩するのにぴったりの場所となっている。