年齢を超えた幸せ

アンドレイ・チルコフさんは、ランニングが若返りに貢献したことに気づいてさえいなかった。彼がランナーになったのは偶然のことだった。酒を飲んで酔っていたある晩、当時52歳の彼は、マラソンを走るという約束をしてしまったのだった。それは20年前のことだった。彼は毎日、ハーフマラソン(20キロ)を走っている。70歳の誕生日は、その年齢と同じキロ数を走って祝った。その後、彼は7日間で490キロをこなすというスーパーマラソンの個人ベストを記録した。それでも物足りないかのように、アンドレイさんは北極でマラソンを走ったが、彼は参加者11人の中で最年長だった。

アンドレイ・チルコフさんは、ランニングが若返りに貢献したことに気づいてさえいなかった。彼がランナーになったのは偶然のことだった。酒を飲んで酔っていたある晩、当時52歳の彼は、マラソンを走るという約束をしてしまったのだった。それは20年前のことだった。彼は毎日、ハーフマラソン(20キロ)を走っている。70歳の誕生日は、その年齢と同じキロ数を走って祝った。その後、彼は7日間で490キロをこなすというスーパーマラソンの個人ベストを記録した。それでも物足りないかのように、アンドレイさんは北極でマラソンを走ったが、彼は参加者11人の中で最年長だった。

Vladimir Yakovlev
ロシア人ジャーナリストで写真家のウラジーミル・ヤコヴレフ氏は、幸せな年金生活者を求めて世界中を旅してきた。彼は、生きる喜び(joie de vivre)でいっぱいの70代、80代から100代に至るまでの人々を取材している。インタビュー内容はすべて、「幸せの時代」と称するプロジェクトに収録されている。
ワレンチン・バディチさんには「エルヴィス・プレスリーの祖父」というニックネームがつけられている。75歳の彼は、ブギウギ、ロカビリー、ロックン ロール、ツイスト・アンド・シェイク、ディスコや、その他多種のダンスを踊りこなす。40歳を過ぎた頃、彼は関節に痛みを感じるようになった。まもなく ワレンチンさんは、松葉杖なしには歩けなくなった。外科手術を拒否した彼は、辛抱して自分で治療することにした。彼は散歩を始め、わざわざ階段を上り下りしたり、ランニングやダンスも始めた。2年以内に彼は完治した。ワレンチンさんは現在、1年を通じて週に2回ダンスをしている。
訓練を継続してきたおかげで、75歳のクロスカントリースキーヤーのボリス・ウラトフさんは10キロを30分でカバーできる。参考のために比較してみる と、それは26歳の世界選手権優勝者でオリンピックでも2回金メダルを制したペッター・ノルトゥクから9分しか遅れをとっていない。75歳のボリスさん は、共同墓地の警備員として働いている。この仕事は、国際選手権の準備を行う時間を確保できるため、彼にぴったりのものだ。
病理解剖医のニーナ・アントノーワさんは85歳だ。半世紀以上にわたって死と緊密につきあってきた彼女 に言わせると、何か悪意を抱くことによって亡くなる人が多いと言う。彼女は、他人に好意を持って接するべきだと信じている。それは寿命を長くしてくれるからだ。彼女は、それは人類 全体に共通する可能性が高く、50年にわたって専門医療に従事した経験から、その考えが確固なものになったと強調する。
97歳のアレクサンドル・ローゼンタールさんは、スキーをしている。冬と夏の毎週3回、モスクワ郊外の人工スロープで彼がスキーをしているところを目にすることができる。猛烈な勢いでループ状にスロープを下る彼の姿は、ティーネイジャーと区別がつかない。アレクサンドルさんは子どもの頃からスキーをしてき た。最も面白みがあるのは、スロープの最初の100メートルだ。その傾斜は思わず息をのみ込むほどのもの。
. エゴール・ミシュスティンさん(83歳)は、8キロのダンベルを片手でたやすく持ち上げる。それを2分間で60回持ち上げるのだ。イェゴールさんは若い頃から訓練してきた。先天性の心臓疾患があるため、医師にやめるよう注意されたにもかかわらず、彼は諦めるつもりは全くない。50歳で、彼は地方のサイクリングレースで優勝し、72歳になると彼はリフティング選手権で優勝した。「進歩により人々は身体を動かさなくなりましたが、運動こそが生命なのです」とイェゴールさんは信念を語る。
イーゴリ・ゴールドマンさんは、65歳でスポーツを始めた。現在78歳の彼は、ベンチプレスで世界記録を塗り替えているが、その他に彼は、バイオテクノロ ジーセンターの所長も務めている。彼はヒトの免疫系において重要なタンパク質であるラクトフェリンの抽出に取り組んでいる。イーゴリさんが65歳の時、彼は長期出張したことがあり、その際にジムに通い始めた。ロシアに帰国するなり、イーゴリさんはデビューとなった選手権のベンチプレスで、いきなり世界記録を達成した。それは彼が70歳の時のことだった。それ以来、彼は選手権で負けたことはなく、その後も数回世界記録を塗り替えている。
64歳の登山家イヴァン・ドゥシャーリンさんは、1年の期間中に世界の最高峰すべてを登頂することを決意した。これまでの6ヶ月で、イヴァンさんはすでに キリマンジャロ、エベレストとアコンカグアの登頂に成功している。計画は、7つある大陸それぞれの最高峰に登頂するというものだ。50歳の時、イヴァンさ んは、インドのチャンガベングを、それまでに試みられたことがなかったルートからの登頂に成功した。垂直の面を登りつめるのには16日を要した。夜は、他 の2人の仲間と共に、宙ぶらになった小さな防水シートに身を包んで明かした。
4キロの水泳、180キロのサイクリングと42キロのランニングを、ストップせずに連続して行うこのトライアスロン競技は「アイアンマン」として知られ、 複合競技の中でも最も困難なものだと見なされている。しかし、61歳の年金受給者リュドミラ・ヴォロノワさんにとって、それは朝飯前だ。リュドミ ラさんは韓国とオーストリアのアイアンマン選手権で優勝し、2012年にはスウェーデン大会での優勝も加えた。その後、彼女はハワイの世界選手権に招待されている。その競技で、61歳のリュドミラさんは、全種目を14時間25分の記録で終えた。つまり、彼女は14時間休み無しに泳ぎ、自転車をこぎ、走った ことになる。
アントニーナ・クリコーワさんは、ガーデニングのコースを通じて合気道の稽古を始めた。ノヴォシビルスク・レジャーセンターは、園芸家向けの合気道コースを企画した。最初のレッスンが終わると、15人の参加者が残った。こうして彼女たちは「合気道おばあちゃん」になったのだった。現在、最年少の参加者は 55歳で、最年長者は若々しい75歳だ。毎回クラスの後、72歳のアントニーナさんは先生の指導内容を忘れないようにしている。道場以外では、彼女は英語 を習っている。優秀なアスリートにはしっかり訓練された頭脳が必要なのだ。
60歳になったエフゲニア・ステパノーワさんは、プロのアスリートになることを決意した。高飛び込みの競技に専念することに決めた彼女は、積極的にトレーニングを開始した。74歳のエフゲニアさんと彼女のキャリアは、現在絶頂の状態にある。「もうすぐ75歳超の年齢枠に繰り上げられるところです」と彼女は説明する。「私の主なライバルのオーストリア人は、私より3歳若いんです。少なくともこれから3年間はそのグループで最強になるので、たくさんメダル を獲得できます!」。

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