「ロシアのサンフランシスコ」へようこそ!

日本海北西部に面するウラジオストクは、1860年に駐屯地として創設された。太平洋艦隊の重要な拠点として、20世紀のほとんどの期間、自由な往来のできない閉鎖都市となっていた。現在は、人口約60万人のビジネスの拠点だ。
ニキータ・フルシチョフソ連共産党第一書記は訪米後の1959年、ウラジオストクを訪れ、この街をソ連のサンフランシスコにすると述べた。殺風景なソ連の港町から輝かしい湾岸の都市に変わるまで、フルシチョフ書記長が考えていたよりもはるかに長い時間がかかってしまったものの、これは名言となった。
日本海北西部に面するウラジオストクは、1860年に駐屯地として創設された。太平洋艦隊の重要な拠点として、20世紀のほとんどの期間、自由な往来のできない閉鎖都市となっていた。現在は、人口約60万人のビジネスの拠点だ。
人口は徐々に減少しているが、ロシアの人口危機だけが要因ではない。
夏は6月、7月、8月の3ヶ月しかないが、それもモンスーンの雨や平均30度以上の気温で台無しになることがある。冬はマイナス10度からマイナス30度になる。地元の人でも耐えられないほどの、氷のように冷たい海風が吹く。
気候的な不便さと、異なる地形の美しい景色を兼ね備えているこの街は、どの建物の屋上からでもながめることができる。それでももっとも人気の高い場所は、ケーブルカーでのぼった先にある鷲の巣展望台だ。
ソ連時代の名残りは、地区の名前(ウラジーミル・レーニン、ミハイル・フルンゼ、ロシア革命の英雄、メーデー、労働者の日)から、古い軍艦やレーニン像、プロレタリアートの指導者の像まで、街のさまざまな場所で感じられる。
ソ連風の地名が、ロシア革命以前の建物や21世紀の橋と組み合わさり、右ハンドル車と左ハンドル車が入り混じる。こんな光景はロシアでは他に見ることができない。
ロシア西部に暮らす人々は、ウラジオストクを国の終点と考えているが、地元民はここを国の始点と考えている。「日出ずる処は是れ東方」。シベリア鉄道の建設が始まった時、ウラジオストクが礎となった。
ウラジオストクでは、海と直接的に接していない場所にも、海の影響がある。水族館、海洋保護区、S56潜水艦博物館、記念警備艦「クラスヌイ・ヴィンペル」号などは街の人気スポットだ。
ウラジオストクを歩くと、まるでタイムトラベルの映画の中にもぐり込んだような気分になる。新世紀に合わせて建設された、鉄骨とガラスのオフィスビルだらけの中心部がある一方で、町外れにはソ連時代の典型的なアパートが立ち並ぶ。丘の間の低平地は、20世紀の低いエレガントな建物で構成される地区だ。