帝政時代の子供服:1850年代~1917年

優れたファッション史研究家アレクサンドル・ワシリエフ氏は、35年に渡って古い写真を集めてきた。
優れたファッション史研究家アレクサンドル・ワシリエフ氏は、35年に渡って古い写真を集めてきた。時系列のアルバムは、紙に現像された写真がロシアに現れた1850年代末に始まり、ロシア帝国時代が終焉した1917年に終わっている。このアルバムの写真から、子供のファッション史だけでなく、ロシア史も感じとれる
1860年代のロシアの子供服は主に、ファッションの都パリの基準に従っていた。5歳以下の男児と女児の服に大差はなく、どちらもペチコートやブルマーの上にワンピースを着ていた。兄弟姉妹が同じ格好をするのが決まりだった。
10年間に限り、子供服がスコットランドのタータン・チェックの生地からつくられていた。タフタ、オーガンジー、薄地モスリン、バレージュなどの生地も人気があり、色は白が好まれた。女児は婦人ファッションを真似て、小さなクリノリンも身に付けた。
ファッションは1870年代初め、大きな転換期を迎えた。これまでと同様、パリを基準としていたものの、シャルル・フレデリック・ウォルトが 1869年に提案したバッスルを身につけるようになった。これは女性のシルエットを大きく変え、長く続いたクリノリンで大きく広げるドレスの流行は終わった。
ひだのある細いシルエットが流行し始めた。1870年代前半、子供服は主に大人の服を真似た。女児はしばしば、姉や母のお古からつくったドレスを着ていた。ドレスはプリーツ加工で華やかになり、スカートの後ろにはドレープや大きなリボンがついた。
女児のファッションは1880年代に大きく発展した。スタイルは20世紀の婦人用ドレスの流行の形成を感じさせる。この年代には女児用の服に大きな 関心が向けられた。ウエストを下げたプリーツスカートのついた、「プリンセス」スタイルの1枚仕立てのドレスの人気が高かった。ここにはレース加工やイギリス刺繍がほどこされていることが多かった。このスタイルは、ウエストの下がった短いスカートの、1920年代のワンピースのシルエットをうかがわせる。
ロシアの民族衣装の影響は、アレクサンドル3世の時代に特によく現れている。ドレスにはしばしばロシア風のクロスステッチが施され、子供のドレスに はクローシェ編みのカラーレースが大人気だった。ロシア風、小ロシア風の子供用ドレスは1880年代、スラヴ派社会で特によく見られた。
1890年代になると、子供服の変化はより顕著になった。1~4歳の男児は、しばしばわきにロシア風留め具のついた、ウエストの低いワンピースを着ていた。大きな襟のついたセーラー服が特に好まれた。
1~2歳の女児は白いゼファーウールの短いワンピースを着ていた。このスタイルはすでに20世紀前半の子供服に似ていた。5歳の女児は、ヨーク、ふっくらとした袖、低い位置に腰帯のついたワンピースを着ていた。
1900年代の男児向けのセーラー服は、水兵の制服とは少し違うものになった。男児向けのセーラー服は白く、青い襟と白いテープがついていた。セーラー服の下には縞模様のシャツを着ていた。
女児の新しいワンピースは、小さなヨークのついたプリーツスカートのアメリカ・スタイルになった。このスタイルで体の動きは完全に自由になり、その着やすさから100年経過しても残っている。女児のファッションの新要素として、1830年代風の「カブリオレト」と呼ばれる美しい帽子が加わった。 フェルト・ホームスパン帽子には、黒いダチョウの羽とタフタのリボンがついていた。
1910~1913年は子供服の大人化の傾向が強くなり、かつて婦人用だった多くのスタイルや生地が子供服の要素になった。第一次世界大戦の際には節約を余儀なくされたため、多くの人があるものを子供向けに縫い直したり、作り直したりしていた。子供のファッションに対する反対もあり、質素さが重視 された。女児向けのワンピースはひざ丈で、ウエストは低かった。Aラインにベルトと子供用サラファンというスタイルだった。
ボリシェヴィキ革命後、ロシアの子供服の生産と販売は、生活と同様、急速に変わった。縫製工場などの産業の国営化は、繊維製品の不足を招いた。もっとも普及したスタイルは、ウエストの低い、ストレートなシャツワンピースだ。