桜草・古いロシアの写真の色

モスクワ、ルビャンカ。 1910年代。抜き刷り//「桜草」という隠喩的なタイトルのこの展覧会は、1860年代から1970年代にかけてのロシアにおけるカラー写真の登場と発展を示すと共に、写真で見るロシアの歴史を明らかにする。
「私の兵役を偲んで」サンクトペテルブルク。 1910年代の初め。コロジオン、絵の具。 //カラー写真は、ヨーロッパとほぼ同時期の1860年代にロシアでも広く使われるようになった。これは手描きで水彩と油彩で写真プリントを着色するということであった。
少女のポートレート。1860年代。鶏卵紙、絵の具。//人々はカラーで、特に絵画的なフォーマットで、自分のイメージを見たいと思った。初期の写真の着色は鶏卵紙を含む、プリントされたもの欠陥を隠すことが出来た。
小ロシアの衣装の女の子のポートレート。サンクトペテルブルク。 1900年代。ゼラチンシルバープリント、絵の具。// 19世紀の終わり頃の1880年代と1890年代には、カラー写真は建築、景観および産業を主題とする分野にも広まった。
レース。「ディナモ」スタジアム。 1935年。アーティストのゼラチン•シルバー•プリント、ガッシュ。 // 1920年代半ばから、A.ロドチェンコは、自身の写真を色付けする忘れられた技法を復活させた。着色の使用に、写真編集の経験が役立った。
赤軍の男。1932年。三色ブロムオイル//1932年に、写真を含む、芸術のすべての形態の唯一の創造的な方法として、社会主義リアリズムのための一般的な規則がソ連で出版された。
ユーリー・リパロフのポートレート。1938年から1939年。三色ブロムオイル 。//ピクトリアリズムは20世紀初頭のロシアの写真の中で最も重要な傾向の一つであり、ロシアのピクトリアリストのカメラマンは、国際的な展示会で、金銀のメダルを授与された。
ツンドラでの出会い。1972年。カラープリント。//1970年代半ばまで、ソ連では、カラー写真を印刷するためのネガフィルムは、メジャーなソ連の出版社で働く何人かの公式カメラマンでないと手に入らない贅沢品だった。
ショーウインドウ。1970年代の初め。カラープリント //リバーサルフィルムは、1960年代から1970年代にソ連の一般市場に登場した。複雑で高価な現像プロセスを必要とするカラーネガフィルムとは対照的に、カラースライドフィルムは家庭内でも現像することが出来た。
フルーツ。1949年。カラープリント。//当時は、果物の静止画にも政治的イデオロギーが含まれており、ソ連の人々は、飢えた戦後、食品流通の配給カードシステムがまだ機能していた飢えた国には存在しない食材を料理本で見ることができるように撮影された。
彼は彼女を振り向かせた。 1960年代の初め。カラープリント。 //ソ連の芸術は、現実の生活と現実の人々ではなく、最も幸せな国の最も幸せな人々についてのソ連の神話を反映しなければならなかった。
海軍士官候補生。 1940年代の終わり。アーティストのカラープリント。//「桜草:ロシアの初期のカラー写真」展示会のこれらの写真は、2013年4月3日までオランダ、アムステルダム、のFOAM未術間で展示されている。