おしゃれな卒業パーティー

 ロシアでは、16世紀に最初の教育機関が設立されたのにともない、学校卒業パーティーの伝統も生まれた。軍事アカデミー学生の最初の卒業パーティーが、将来にわたって祝い方の基準を決めた。すなわち、大量のアルコール、放歌高吟、多少の喧嘩がその特徴となった。華麗な卒業式の舞踏会が登場し始めたのは、19世紀初頭のことで、6月に幼年学校生徒と貴族女子学院の卒業式を一緒に祝うようになった。

 ロシアでは、16世紀に最初の教育機関が設立されたのにともない、学校卒業パーティーの伝統も生まれた。軍事アカデミー学生の最初の卒業パーティーが、将来にわたって祝い方の基準を決めた。すなわち、大量のアルコール、放歌高吟、多少の喧嘩がその特徴となった。華麗な卒業式の舞踏会が登場し始めたのは、19世紀初頭のことで、6月に幼年学校生徒と貴族女子学院の卒業式を一緒に祝うようになった。

マクシーム・ブリノフ/ロシア通信
 学校の卒業式は大人の生活への第一歩だ。ロシアの若者はそれをどのように祝ってきたのだろうか?ロシアの卒業式の今昔を見てみよう。  6月23~24日には、伝統的に、ロシア全国の学校(11年制)卒業生が大人の生活の始まりを祝う。卒業生が証明書を受け取る、5月25日の「最後のベル」のセレモニーが、本来の正式な卒業式だが、6月末の最後の祝典はすべてパーティーだ。
 1917年の10月革命の後、こういう卒業式は廃止されたが、長い間ではなかった。1930年代には、若干様変わりしただけで先祖返りした。新しい形式では、卒業式の舞踏会は長たらしい別れのスピーチで始まったが、最後は踊りで終わった。
 1950年代の初めにはまだ、卒業式は「卒業式舞踏会」と呼ばれていたが、その後、ソ連当局は、過去の残滓を捨て、「卒業式の夕べ」と改名することに決めた。この頃になると、それはもう舞踏会を連想させなかったが、代わりにダンス、演奏、宴会が含まれていた。卒業式での衣装は非常に控えめで、女子のメイクやマニキュアはご法度だった。
 お祝いは学校内で行われた。正式な卒業証書の授与に続いて、コンサートと晩餐会が行われた。アルコール(多少のシャンパンとワイン)を飲むことは正式に許可されていた。卒業生は朝まで学校の敷地外に出ることが許されなかったので、一晩中踊っていた。
 1960年代の「雪解け」の頃になると、新しい伝統が登場した。卒業生たちは、川のほとりやボートで新しい一日を迎えるようになった。70年代になると、女子たちは、より真剣に装いを凝らし始めた――めいめいが最高の装いをしようとして。彼女らはミニスカートをはき、メイクをし、髪をカールさせるようになった。
 ソビエト連邦の崩壊と、1990年代におけるロシア史の新時代の開幕、すなわち新たな資本主義時代の始まりは、卒業式のセレモニーにも新傾向をもたらした。若者たちは、学校の複合施設から外へ、レストランやナイトクラブのような場所へと移り出した。モスクワ川をクルージングしながら甲板で夜を過ごすのはとくに魅力的だった。当初は、エリート校だけがそういうお祝いをする資力があったが、時とともに広範に行われるようになった。
 16世紀以来、卒業式の費用は各家庭に重い負担となっている。今日では、この重要な節目の行事に費やされる金額は、学校ごとに異なり、個々の家族の懐具合にも左右される。
 パーティーの企画、カメラマン、レストランやクラブのレンタルには1人当たり8千ルーブル(約1万5千円)以上かかる。しかもこれは始まりに過ぎない。衣装、タクシー、メイクも必要だ。
 どの程度の費用の祝典が行われるかは、親と学校がどのくらい金をかけたいかによって決まる。エリート校では総額1万5千〜20万ルーブル(約2万8千円~37万円)にも達する。
 政府当局は、卒業パーティーが華やかになりすぎたと認めている。学校にもっと支出を少なくするよう勧告する必要があるにもかかわらず、そういう支出減のトレンドが現れることはまずあるまい。金を出す余裕がある人は、子供たちが思い出になるパーティーの夜を過ごすために、できる限りのことをし続けるだろうから。