セルゲイさんは良い結果を示した。1996年、アメリカで開催された視覚障がい者の国際陸上大会に出場。短距離走で準優勝した。
パヴェル・ヴォルコフ撮影セルゲイさんは8歳の時、当時暮らしていた村で事故にあい、目が見えなくなった。そして生活は一変した。「親はこのことをとても心配していた。すべてがおもしろくなくなり、友だちと外に遊びにいくことをやめた。母は視覚障がい者用の寄宿舎を見つけてくれた」。モスクワの寄宿舎で、スポーツへの道が拓けた。スポーツは障がい者の単なる暇つぶしなどではなく、生活に順応し、周囲に調和できる質とスキルを育ててくれることがわかった。スポーツで第一歩
パヴェル・ヴォルコフ撮影セルゲイさんがスポーツを始めるきっかけとなったのは、エンジニアで発明家のレオニード・エマヌイロヴィチ・クレイドリンさんが寄宿舎に来たこと。視覚障がい者が周囲の状況を把握し、走り、自転車で走行できるような小さな装置を、レオニードさんはつくった。装置は特別なヘッドフォンで、視覚障がい者はそこから発信される音響信号を聴いて、状況を把握できる。
パヴェル・ヴォルコフ撮影レオニードさんは、装置を試用してスポーツをしてくれる人を寄宿舎で探していた。セルゲイさんの親はこの提案を喜んで受け入れ、スポーツ教室までの息子の送り迎えを献身的に行った。「親の努力のおかげで、動きが制限されているとは感じなくなった。今は街中も一人で歩ける」とセルゲイさん。
パヴェル・ヴォルコフ撮影スポーツ教室で協調性と空間での位置認識力が発達したという。「これは自由という感覚。視覚障がい者はすぐに自ら歩こうとはしないため、この障壁を乗り越えるのは大変。何かにぶつかるかもしれないという気持ちが伴うから。これと闘う必要がある」とセルゲイさん。
パヴェル・ヴォルコフ撮影それでも当時はスポーツのキャリアについて考えていなかった。ある時、元同級生から電話があり、ニコライ・ベレゴヴォイという人物が視覚障がい者の球技トーボールとゴールボール(パラリンピックの球技)をする人を探していると言われた。セルゲイさんはやってみることにした。その練習中にロシアの柔道代表の上級コーチと知り合い、柔道にも誘われた。
パヴェル・ヴォルコフ撮影セルゲイさんは柔道もやってみた。そして優れた成績を出した。「柔道に阻まれるということはなくて、両立できたから続けた。こうして柔道とゴールボールの両方をすることになった」サッカー
パヴェル・ヴォルコフ撮影セルゲイさんがサッカーをするようになったのは、サッカーがパラリンピックの正式競技になった2004年。これはまったくの新しい経験だった。視覚障がい者のサッカーのルールは一般のルールとはかなり異なる。ボールに特別な鈴がついていて、選手は音でボールの場所を把握する。チームには4人の選手とゴールキーパーがおり、ゴールキーパーは目の見える人がやっている。残りの選手は目隠しをしなくてはいけない。弱視の人も出場できるためだ。ゴールキーパーは自陣で選手に指示を出し、相手ゴールの後ろからはコーチが同じように選手に指示を出す。
パヴェル・ヴォルコフ撮影だがセルゲイさんによれば、指示がなくてもプレー可能だという。「選手に普通のボールを渡したら、同じようにピッチの中でプレーするし、すべてのエレメントをこなす。唯一、ボールのコントロールを失ったら、ボールを見つけられないという問題がある。総じて、筋肉のレベルですべてが反応している」
パヴェル・ヴォルコフ撮影セルゲイさんによると、ピッチに上がる前には常に一定の不安があるという。だが笛の音が鳴ると、不安は消え、プレーに集中できる。強いチームとプレーすると、自分の弱点を理解でき、その後に活かせるため、おもしろ味は増す。
パヴェル・ヴォルコフ撮影残念なことに、このようなサッカーのファンは多くない。セルゲイさんによれば、この競技の人気がまだあまり高くないこと、観客席で大声を出すと選手の邪魔になるため、歓声をあげられないことが原因だという。
パヴェル・ヴォルコフ撮影パラリンピック・スポーツには他の問題もある。選手の数が足りないのだ。スポーツでは自分探しもできるのに、障がい者はなぜか消極的である。「スポーツをしたいという気持ちすらない。健康問題でできないというのもあるだろうけど、『コンピュータ』の方がおもしろいのかもしれない。わざわざ走らなくても、ボタンをクリックすれば、自分のもとに走ってきてくれるのだから。寄宿舎で若者を誘おうとしているが、状況は悪化するばかり。2011年から勧誘しているけど、残ってるのは4人。すごく少ない」とセルゲイさん。今後の計画
パヴェル・ヴォルコフ撮影「33歳は、普通は引退の年。だけどこのスポーツでは十分にプレーできるから、様子見。代わりの良い選手を見つけたらやめる」と、セルゲイさんは今後について話す。サッカーのロシア代表、他のスポーツをして、家族との時間を大切にしながら、さらに学校に通ってマッサージ師の勉強をしている。 以前にも、ロシア体育大学を卒業している。ここでは適応体育学部で学んだ。セルゲイさんは、すべてをこなすことはとても難しいと話す。だがこれらはすべて自分を高めてくれるおもしろいものだ。「とにかく動いて、この『粥』の中でしっかりと煮えれば(ごちゃ混ぜを自分のものにすれば)、自分の感覚、方向性を定めることができる。すべてについて考えたら怖くなって、家にじっとしてることになる。何も考えずに目標に向かって進めば、怖さを感じることなく、すべてがうまくいく」とセルゲイさん。
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