19世紀ロシアの楽しい「結婚広告」:未知の大都市での婚活

歴史
ゲオルギー・マナエフ
 恋人募集のプロフィールが言葉だけで、絵文字も写真もなかったとき、人々は、時にはかなり奇妙な自己紹介をすることがあった。

 誰もが知り合い同士の小さな町や村でパートナーを見つけるのは比較的簡単だった。しかし、19世紀後半に未知の大都市に移り住んだロシア人にとっては、知人や友人がまだいなかったから、ずっと難しかった。

 そのため、恋人や結婚相手との出会いを目的として、ほぼすべての大都市で特別な「結婚新聞」が発行されていた。これらの新聞の発行は、第一次世界大戦中も中断されなかった!

 しかし、新聞広告は高価で、単語ごとに課金され、1 ~ 3 ルーブルの費用がかかった(当時、安いアパートで一部屋借りるのに月 5 ルーブル。1 ルーブルで 15 本の牛乳を買えた)。

 当時、写真が広告に載ることはめったになかった。そのため、広告は簡潔であると同時に、人目を引く必要があった。それで広告の文面はしばしば奇妙なものとなった。

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