ナナイ族にはなぜ苗字が30種類しかないのか?

ライフ
エカテリーナ・シネリシチコワ
 ナナイ族に関しては、興味深い事実がたくさんある。たとえば、「魚の皮族」と呼ばれている。なぜなら彼らは魚の皮を着ていたからである。またはナナイ族の間では死者に腸の柄をつけた胸当てを縫い、また小さな木の人形を作り、死者が亡くなった後も1年にわたって、食事を与えるという習慣がある。そしてもう一つ面白いのがナナイ族の苗字である。現在、ナナイ族の苗字は30しかないのである。

 ナナイ族は、ロシアの多くの少数民族と同様、現在はほぼロシア人と同化している。ナナイ語を知っている人はほとんどいない。しかしそれでもナナイ族は、中国人よりも先にこの地にやってきた極東の先住民である。そしてその後、ここにはロシア人がやってきたのである。

 

「大地の人」とは?  

 ナナイ族がどのようにしてこの地にたどり着いたのかは、現在も謎のままとなっている。ナナイ族の祖先がもともとマンジューリヤ(=満州、現在の中国北東部)に住んでおり、そこからニジニ・アムールを下ってウスリー川渓谷に向かったと考える研究者もいる一方で、民俗学者レフ・シテルンベルグのように、ナナイ族は異なる部族が混ざり合って生まれたと考える研究者もいる。この説はナナイ族の遺伝子学的分析によっても確認されている。ナナイ族の部族は民俗的に大きく異なっている。中国系の遺伝的ルーツを持つ人、トルコ系の遺伝的ルーツを持つ人、モンゴルあるいはツングース系の遺伝的ルーツを持つ人などがいる。「ナナイ」とは、ナナイ語で、「大地の人」を意味する。

 2010年の国勢調査によれば、ロシアには1万1,671人のナナイ族が住んでいる。また1860年に国境線をアムール川とウスリー川に沿って国境線を定め、ロシアと中国の居住区を分ける北京条約が結ばれた後、中国領には4,600人のナナイ族が住んでいる。

 

犬を連れたシャーマンと盗まれた心

 ロシア人が極東にやってきたとき、先住民たちはロシアの政権を受け入れるかその地を去るかの選択に迫られた。ナナイ族はその地に残ることにした。現在、ロシアに住むナナイ族の92%以上がハバロフスク州―ハバロフスクおよびアムール川、ウスリー川の両岸にある村に暮らしている。ナナイ族が再び選択を迫られたのは19世紀後半。異教からロシア正教への改宗を促されたときである。ナナイ族は自然を擬人化し、シャーマンを通じ、また犬の助けを借りて、交流を図っていた。シャーマンは「盗まれた」人間の心を見つけてくれた。

 死者の魂も大切にした。死者のために、腸の模様が入った棺用の胸当てを作ったのである。魂が息をし、食べ物を摂れるようにするためである。また死者が生きた人の魂の上に立たないよう、足下には、石を置いた。同じ目的で、死者を家から出すときは、けしてドアは使わず、壁に開けた穴か窓を使った。死者が家への道を見つけることができないようにである。

 死者の魂は、死後1年間、「パネ」と呼ばれる小さな木の人形の中にあると信じられていた。そこで毎日、この人形に食べ物を供え続け、1年後に、シャーマンがその魂を死者の世界に送った。 

 現代のナナイ族の多くは、2つの宗教を信仰している。教会に足を運びつつ、同時に、「幸運を祈って」川の神にお供えをし、さまざまなお願いごとをするため、儀式のための彫刻「セヴェン」にコインを置く。ナナイ族の伝統衣装は、丈の長い上着とパンツで、象徴的な絵柄が刺繍されている。「この胸当ては自分で作ったんです。悪い精霊を驚かせるためのものです。金属の装飾をつけられるだけつけ、音を大きくすればするほど、いいとされています。かつては、この胸当てを服の下につけていたのですが、現在は上につけることもできます」とシカチ・アリャン村のエレーナは語る

 

どのようにして苗字をつけたか

 ソ連のパスポートを取得しなければならなくなったとき、ナナイ族の人々は、初めて苗字を作ることになった。1974年まで苗字というものがなかったのである。国の住民全員(軍人以外)にパスポートの所持を義務付ける文書は、ソ連が作られてから50年後にまとめられ、これにより、ナナイ族は苗字をつけることになった。苗字には、自身が属する種族の名前を使った。そこでナナイ族の苗字は、パッサル、アイムカ、ディゴル、ヌエル、ユコムザンなど30種となった。 

 もっとも大きな種族はベリディで、その有名な存在となっているのが歌手のコラ・ベリディ(1929〜1993)。「君をツンドラに連れて行く」という歌で、ポーランドのソポトで開かれた国際声楽フェスティヴァルで2位に輝き、その後、世界46カ国で公演を行った。この歌はツンドラでの生活やトナカイ飼育をテーマにしたものである(しかし実はナナイ族はツンドラに生活していたことはなく、トナカイの飼育をしたこともない)。アムール川には140種の魚が生息しており、ナナイ族は漁を生業としている。ナナイ族の暦の5つ月に魚の名前がつけられているのも偶然ではないのである。

 

21世紀のナナイ族

 現代のナナイ族の住宅や習慣は典型的なロシア人とそれほど変わらない。遠く離れた村でも、インターネット、電化製品、自動車、近代的なモーターボート、どこででも発電できるポータブル発電機などを使用している。しかし、若者を中心にほとんどのナナイ族は都市部に住んでいる。

 「ナナイ族として、ナナイの村に住み、ナナイの学校に通うのは素晴らしいことですが、なかなかそれができる人は少ないんです。そんな学校にナナイ族が一人しかいない場合、皆、それを指摘せずにはいられないんです。ナナイ族か?と侮辱されることもあります」と話すのは、「プリアムーリエの先住民族の文化と権利と自由を守る会」のレオニード・スンゴルキン代表。

 ナナイ族の伝統産業である漁も、今の現実にしたがって行われている。ロシアでは、こうした先住民が捕獲できる魚の量が法的に定められている。ナナイ族に許可されているのは年間1人あたり50キロ、多子家族の場合は年間100キロとなっている。

 「ナナイ族には家を建てるための森が与えられます。しかしこれも容易ではありません。森は遠く離れていて、タイガを自分で整備し、木を伐採し、木材にし、森に運んで家を建てなければならず、ほぼ非現実的です」とスンゴルキン氏は語る。

 しかし、ナナイ族の中には、自分のルーツにメリットを感じている人もいる。2010年、彼らはエスノツーリズムを推し進め、ナナイ族の文化を観光客のためのアトラクションにしている。

 「ナナイ族の村を訪問するというプログラムは人気を博しつつあります。2016年からこのプログラムを行っていますが、このツアーに参加したいという人は減っていません。しかも観光客は、わたしたちの地域や隣の地域はもちろん、モスクワ(ハバロフスクから8,240キロ)やロシア西部からもきています」と話すのは、ハバロフスクの旅行会社「ヴォヤージ」の代表、オリガ・ポミトゥンさん。

 ナナイ族の村では、弓を射たり、民族料理を調理したり、試食したり、ナナイ族の遊びを楽しんだり、ナナイ族の民族工芸品を買ったりすることができる。