文字通り、ソ連の子どもたちにとって、もっとも価値のあるものだったのが、家の鍵。紐を通し、首にかけられていた。学校が終わった跡、家に入るのに必要不可欠なものであった。というのも、ソ連時代、ほとんどの家では両親がふたりとも夜まで働いていたからである。
男の子も女の子も鍵を首に吊り下げていたが、どちらかといえば男子の方がその確率は高かった。男の子の方が、激しい遊びをしたり、同級生と喧嘩をしたりして、鍵を失くすことが多かったからである。鍵を失くして、ドアの錠前を交換するというのは両親に咎められる大問題であり、時間もお金もかかる面倒なことであった。さらに、鍵を失くすというのは、泥棒に入られるかもしれないという心配なことでもあり、子どもたちは毎朝、胸に鍵をかけて、学校に向かった。
ときどき、制服の裏地の方に小さな鍵用のポケットを縫い付けることもあった。しかし、鍵を失くさないようにと両親がどんなに手を尽くしても、何の効果ももたらさないこともあった。子どもたちは、ときに、頭に乗せた紐の上で鍵を回して、的に当てるというゲームに興じたからである。的にもっとも近くまで寄せた人が勝つという遊びであった。
ソ連の男の子のポケットには必ず、穴に糸を通した2コペイカ硬貨が入っていた。これは、公衆電話からたとえば親に「無料で」電話するために、ちょっとした細工がなされたものであった。つまりコインを入れて電話をかけ、終わった後にこの糸をそっと引っ張れば、一度入れたコインを取り戻すことができたのである。そして節約したそのコインでアイスクリームなどちょっとしたお楽しみを買うことができた。
本物のソ連の男の子はもちろん、スリングショットといわゆる「銃弾セット」を持っていなければならなかった。この「銃弾セット」とは、小石または針金を小さく切ってU字に曲げたものである。スリングショットは先がY字に割れた枝と絶縁テープ、そして下着かトレーニングパンツから抜いたゴムで作られていた。
スリングショットはけして危なくないとはいえない代物で、当たれば目や目のまわりを怪我したり、擦り傷ができることもあった。もっと気性の荒い田舎などでは、このスリングショットでちょっとした狩りをすることができ、スズメや鳩を撃ったりした。
どんどん大きくなる体はいつも食べ物を欲していたが、家に立ち寄るのは危険なことであった。ひょっとすると親にもう出かけてはならないと言われたり、先に宿題を済ませるように言われたり、片付けをさせられたり、あるいは弟の面倒を見ることになるかもしれなかったからだ。そこで、捕まえた鳥の羽を毟り、焚き火で焼いて、そのまま食べることもあったのである。このように、ソ連時代の子どもたちは生き延びる技を磨いた。より自由な田舎の少年たちだけでなく、夏に郊外にやってきたかなり裕福で「正しい」ピオネール少年たちも、同じようなことをした。
ピオネール少年たちも田舎の子どもたちの自立心や生活の規則を学び、スリングショットの腕を上げ、隣の庭からリンゴを盗み、口の悪いスラングを習得した。
家から持ってきたかコルホーズの畑からこっそり盗んだジャガイモを焚き火の灰の中で焼くため、少年たちにはマッチが必需であった。また美しいマッチはより大きな価値があるとされた。たとえば、もっともカッコいいとされたのは、先の部分が普通の茶色ではなく、緑色のもの。そしてマッチ箱の絵も重要であった。ソ連後期になると、水着姿の女性の写真が入ったマッチ箱が国外から持ち込まれるようになり、少年たちの間ではとても人気があった。
またマッチ箱はカッコいい虫や蜘蛛、イモムシを保管するのにも理想的なものであった。たとえば、その中に入っているものを、前に座っている同級生の襟首にこっそり入れたりするのである。その効果は予想以上にすごいものであった。
少年たちは学校以外では外で時間を過ごすことが多かったため、必ずポケットナイフを持っていなければならなかった。リンゴを切ったり、捕まえた魚をさばいたり、矢を作ったりと、本物のソ連の少年にはいろいろなものに使うことができた。
もっともシンプルなナイフには「小学生」という物憂げな名前がついていて、あまり品質がよいとはいえない1枚の刃がついているだけのものであった。しかし、砥石や玄関先の階段を使えば、この問題は簡単に解決できた。
「ツーリスト」、「ルィプカ」というナイフはもう少し高価で、装飾のついたカラフルなプラスチック製の取っ手がついていた。しかし、最高のものとされたのは、ナイフ以外に、ハサミや毛抜きや狩猟用の道具、コルク抜きなどがついた折りたたみ式の万能ナイフであった。
ポケットナイフはトランプゲームで買って手に入れたり、負けて奪われたりもした。もっともカッコいいソ連の男の子たちはトランプを必ず持っていた。トランプは賭けごとをするためのものであったからである。しかもトランプは基本的に犯罪の香りを漂わせていたのである。
賭けごとをすることは禁じられていた。トランプをしている生徒を見つけた教師はすぐに取り上げるか、あるいはこれ見よがしに破った。学校で子どもたちは、休憩時間に階段かトイレでトランプゲームをしたが、それよりも、学校を出てから、大人に見つかりにくい通りの角やその他の場所で遊ぶことが多かった。
トランプで負けた人へのもっとも簡単な罰ゲームは中指で相手の額を弾くというものであったが、それ以外ではちょっとしたものやお菓子などを賭ける場合もあった。何も賭けずにただ楽しむというのは、「本物のゲームではない」として、あまりされることはなかった。賭けるものは、年齢が上がるとともに、高価なものになっていった。
本物の男の子は強烈なソ連のチューイングガム「グドロン」を持っていた。グドロンというのは、石油を蒸留した際に出る廃棄物で、建設現場やパイプの修理、道路の修繕が行われている場所で見つけることができた。冷めるとこのグドロンは瀝青になり、これを少年たちは小さくちぎって噛んだのである。
グドロンは歯を白くするとされていたほか、ガムを噛む外国のバッドボーイ風なおしゃれな勇敢さを演出してくれた。グドロンは独特のテクスチャーをしており、柔らかくなるまで噛むと(そうなるまでには半時間ほどかかった)、本物のガムのような粘着性をかなり長いこと維持できた。またグドロンを噛めば、こっそり吸っているタバコの匂いを消すことができるという考えも広まっていた。
炭酸水を飲むための折りたたみ式コップは、蒸し暑い都会の夏には欠かせない必需品であった。チェリーや梨のシロップで甘くした炭酸水が出てくる自動販売機のコップは、お酒好きなアル中に盗まれて、置かれていないことが多かったからだ。そこで折りたたみ式のマイコップを持っていれば、自販機の甘い飲み物を飲むことができた。そうでないと、機械から注ぎ出される炭酸水を入れるものがなかったのである。
この自動販売機は、コップが1つ置かれていて、それを水で洗い流して、皆で使い回すというシステムであったが、そのシステムを衛生的に信じていない母親たちが、子どものために折りたたみ式コップを買って、持たせることも多かった。またチフスに罹った男性が夜中に歩き回り、この自販機のコップに自分の菌を着けているという都市伝説もあり、恐怖を煽った。ただし、この折りたたみ式コップ、実はあまり便利ではなかった。というのは、炭酸水を注いでいるときに折りたたまれてしまうことがあったため、上部をしっかり持っていなければならず、そうすると、指にシロップがついてベタベタになったからである。
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