背の高い栗毛の花嫁は、ヒューストンの高級サロンで作られたクラシカルなウェデイングドレスに身を包み、デヴィッド・ボウイの「Absolute Beginners」(ビギナーズ)が流れる中、約200人の招待客が集まる会場に現れ、モニターに映し出される、402㌔離れた宇宙に長期間滞在する新郎に大きく微笑みかけた。新婦は自分で指に結婚指輪をはめ、新郎に投げキッスを送る。そして新郎も同じようにした。
これは2003年8月10日の出来事である。ロシア系のアメリカ人、エカテリーナ・ドミトリエワさんはNASA(アメリカ航空宇宙局)本部で、衛星中継を通じて、国際宇宙ステーションに滞在するユーリー・マレンチェンコ宇宙飛行士と結婚した。結婚式に合わせ、マレンチェンコ飛行士はいつもの宇宙服の上から蝶ネクタイをつけた。
史上初の宇宙での結婚式は、現在も最初で最後のものであるが、その結果は数年後に明らかになる。
非常に困った状況に
ユーリー・マレンチェンコは59歳で宇宙飛行士として5回宇宙に滞在し、その合計日数は2年以上となる。827日9時間という滞在時間は、史上2番目の長さで、マレンチェンコ飛行士はロシアで最高の賞であるロシア英雄の称号を授与されている。しかし、マレンチェンコ飛行士を何よりも有名にしたのは、宇宙で挙げた結婚式である。
マレンチェンコ飛行士が、ヒューストンで開かれたユーリー・ガガーリン(人類初の宇宙飛行士)を記念するパーティで、27歳のエカテリーナさんと出会ったのは41歳のときだった。エカテリーナさんは4歳のときに、両親とともにソ連からアメリカに亡命。母親はNASAで軌道プログラムのスペシャリストとして勤務し、父親はテキサス州のある大学で教鞭を執っていた。このとき、マレンチェンコ飛行士はヒューストンで、自身の3回目の宇宙飛行を前に訓練を行なっていたが、飛行の4ヶ月前にエカテリーナさんにプロポーズした。
当初、結婚式はマレンチェンコ飛行士が地球に帰還した後の8月に予定されたが、滞在が10月末に延期されることになった。飛行士は、このことを軌道上で知らされたが、結婚式を延期するという話にはならなかった。宇宙飛行士というのは危険な職業であり、帰還するまで何が起こるか分からない上、その半年ほど前に、スペースシャトル「コロンビア」号の空中分解事故(乗員7人全員が地球に帰還する16分前に死亡した)があったからである。
しかし、この説明はロシア側には通用しなかった。「ロスアヴィアコスモス」とロシアの飛行管制センターの反応は厳しいものであった。「ロスアヴィアコスモス」で当時広報を担当していたセルゲイ・ゴルブノフ氏は、「残念ながら、ユーリーはわたしたちを非常に困った状況に置いたのです。彼は結婚について事前に知らせてくれていませんでした。もし新婦が正式に政府に許可を要請し、NASAと交渉していれば、ユーリーは違った方法をとったはずです。彼は飛行前に何も言わず、軌道上から電話をかけてきて、いきなり事実を告げたのです」と述べた。
ロシア空軍の司令官であるウラジーミル・ミハイロフ准将は、「わたしたちは彼に結婚を禁じたわけではありませんが、しかし彼は映画スターではなく、宇宙飛行士として行動すべきでした」と語っている。国家機密にアクセスできるロシアの現役の将校は、外国人と結婚する際、許可を得る必要があり、それは地球上ですべきこととなっているのである。
しかし、ユーリー・マレンチェンコ飛行士はそうは考えていなかった。
等身大の写真の新郎
しかしNASAは2人の結婚を支援した。テキサス州の法律では、重大な理由であれば、新郎が不在していても、結婚登録ができることになっていることから、2人の結婚式をヒューストンの飛行管制センターで行うことが許されたのである。
結婚式の日のために、国際宇宙ステーションとの間に中継が繋がれた。この中継は、公式的には個人の家族会議と区分され、NASAのテレビで放送されることはなかった。国際宇宙ステーションには、事前に、「プログレス」補給船で、式用の蝶ネクタイと、エカテリーナさんとお揃いの地球と太陽と国際宇宙ステーションの形の宝石が散りばめられたゴールドの結婚指輪が送り届けられた。
セレモニーは25分で終了した。ある高官は回想する。「招待客の3分の1はロシア語を話しました。マレンチェンコの代わりに、全権を委任された弁護士がすべての書類にサインしました。国際宇宙ステーションにいたもう1人のアメリカ人宇宙飛行士、エドワード・ルーが証人となり、持ち運びできるシンセサイザーでメンデルスゾーンの結婚行進曲を演奏しました。宇宙結婚式を企画したジョアン・ウッドワードは、これをすごく素敵だと表現していました」。
その日、ニューヨークタイムズの取材を受けたエカテリーナ・ドミトリエワさんは、「ユーリーは遠くにいるけれど、今回こうした形でコミュニケーションが取れたことで、彼はわたしにとってより近く感じられた」と語っている。
結婚式の後、エカテリーナさんは招待客とともに、ヒューストンから近いクリア・レイクにあるイタリアンレストラン「ヴィラ・カプリ」に向かったが、そこにはマレンチェンコ飛行士の等身大の写真が飾られていた。
その日、ロシアの飛行管制センターがマレンチェンコ飛行士と連絡を取ることはなかった。その理由は、結婚は飛行士の個人的な問題であり、国家が何らかの行動を取ることはできないというものであった。セルゲイ・ゴルブノフ報道官は、「これに関連して、記者会見もしないし、花火を上げることもない」と述べた。
宇宙での結婚式は禁止に
ユーリー・マレンチェンコ宇宙飛行士は2ヶ月後に地球に帰還し、エカテリーナさんは空港で彼を迎えた。エカテリーナさんはアメリカ国籍を残したまま、ロシアに移住した。翌年の6月に2人はモスクワの北に位置するヤロスラヴリの小さな教会で結婚式を挙げ、2006年には第一子となる女の子、カミラちゃんが生まれた。マレンチェンコ飛行士は、指導部に逆らったことから、多くの専門家から彼のキャリアは終わったと囁かれた。しかし、飛行士はこの後、2007年から2012年の間にさらに2度宇宙に滞在した。
とはいえ、このときの宇宙での結婚式は、その後、一つのルールを生んだ。それは、宇宙飛行士が交わす契約書に、結婚式を禁止するという条項が追加されたことである。
しかしマレンチェンコ飛行士が別の影響を実感することになったのは2019年になってからである。そのときマレンチェンコ氏はすでに現役の宇宙飛行士を引退し、宇宙飛行士養成センターで事務的な職についていたが、宇宙ロケット分野に詳しい情報筋によれば、彼は妻がアメリカ人だという理由で、昇格させてもらえなかったという。「ロスコスモス」の安全保障局は、第一副所長は機密情報にアクセスできる役職であることから、マレンチェンコ元飛行士は候補者としてふさわしくないと判断したのである。