今もまだ存在するソ連生まれのブランド7つ

Russia Beyond (写真: M.Filimonov/Sputnik, Archive photo)
 一番おいしいソ連のケーキ、ソ連の女性たちの間でもっとも人気があった香水、外国でもよく知られているロシアのウォトカ・・・。いまでもロシアで買うことができるソ連時代の人気ブランドを紹介しよう。

1. 香水「赤いモスクワ」 

 1925年にモスクワの工場「ノーヴァヤ・ザリャー」で作られていた、ソ連の女性たちに愛されたこの香水にはたくさんの伝説がある。そのうちの1つが、これは1913年に、石鹸、口紅、香水を製造する工場の所有者であるゲンリフ・ブロカーがニコライ2世夫人であるアレクサンドラ・フョードロヴナに贈った「皇后のブーケをリメイクしたものというものである。

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 工場はいまでも香水の完全な成分を明らかにしていないが、雑誌「化学と生活」(1973年)では、「繊細で温もりのある、オレンジの花のニュアンスを持つ高貴な香り」と記されている。香水の値段は高く、5ルーブルであった。これは1ヶ月分の公共料金に相当したが、それでも女性たちはこの「赤いモスクワ」に行列を成した。

 1990年代を前に香水の人気は陰りを見せ、時代遅れのものと捉えられるようになった。2004年、工場はフランスのパフューム会社と「ノーヴァヤ・ザリャー・ヌーヴェル・エトワール」という合弁企業を設立した。「赤いモスクワ」の製造も続けられ、香りの成分も明らかにされた。その内容は、ベルガモット、ネロリ、グレープフルーツ、ジャスミン、ローズ、アイリスのシルレージ、バニラ、アンバーグリス、ビーンズである。最近では、この「赤いモスクワ」にはソ連時代の香りは残っていないと言われるが、値段は713ルーブル(およそ1,000円)とリーズナブルになっている。

 

2. カメラ「ゼニット」

 温かみがあって、粒が粗く、丸いぼかしが入ることから、ゼニットは今でも多くのカメラ愛好家に愛されている。とりわけ、ソ連製のレンズ「ヘリオス」との相性は抜群である。

 カメラは1952年にクラスノゴルスク機械工場で製造されるようになり、1990年代まで異なるモデルが製造された。値段は組み合わせにより90ルーブルから300ルーブルで(ソ連市民の給料1ヶ月分から数ヶ月分)、けして安い買い物ではなかった。

 2019年、工場ではデジタルミラーレス版の製造を開始した。値段はゼニターレンズ1/35とセットで47万ルーブル(およそ70万円)となっており、このカメラはソ連美学の愛好家の中でも裕福な人の間でのみ人気で、その他の人たちはフリマサイトなどで、古いソ連のカメラを購入している。しかし、この伝説のカメラやレンズはときに5,000ルーブル(およそ7,300円)を超えることもある。

 

3. チョコレート「アリョンカ」

 1960年代初頭、ソ連政府は新たな食糧プログラムを採択した。そのプログラムには、誰もが買えるミルクチョコレートの製造を開始することが盛り込まれていた。そのチョコレートのレシピはモスクワの工場「クラースヌィ・オクチャブリ(赤い10月)」の菓子職人たちが考案した。

 当初、「アリョンカ」は青いプラトークをしていて、犬やウサギと一緒に描かれていた。また工場は、ヴィクトル・ヴァスネツォフの作品「アリョーヌシカ」を包み紙のデザインにすることも考えたが、特別設置委員会の承認を得られなかった。そこで工場はこのデザインのコンクールを開催し、その中からジャーナリスト、アレクサンドル・ゲリナスが撮影したシルクのプラトークをつけた8ヶ月の愛娘レーナの写真を選んだのである。丸いほっぺのかわいい女の子がデザインされた包み紙のチョコは、80コペイカ(マヨネーズよりも安かった)という安さであったこともあり、ソ連じゅうで瞬く間に大人気となった。

「アリョンカ」についてもっと知りたい方は、こちらからどうぞ

 チョコレートは、「ロト・フロント」、「ババエフスキー」など、ソ連全土の様々な工場で作られたが、ソ連崩壊後、「クラースヌィ・オクチャブリ」のブランドとなった。

 現在、「アリョンカ」は専門ショップがあり、そこではクラシカルなバージョンに加えて、アレンジされもの、そして「クラースヌィ・オクチャブリ」やその他の菓子工場の別のチョコレートも売られている。

 

4. 時計「ポベダ」 

 「ほら、ママ、この時計が動いている間は僕は生きていられるんだ」。前線で戦った詩人のセルゲイ・オルロフは1946年に母親から贈られた大きな文字盤のついた手巻き時計について、こう書いた。ちなみにこの時計は、オルロフが亡くなる直前まで、30年以上動き続けた。オルロフは心臓発作を起こしたのだが、倒れたときに時計は割れてしまったのである。 

 時計の製造は1945年、大祖国戦争でのソ連の勝利を記念してペンザ工場で始まった。最初の製造個数は1万個だった。値段は475ルーブルで、これは当時の平均月収よりも多かった。 

 1950年代、時計は第2モスクワ時計工場、ペトロドヴォレツ時計工場、クイブィシェフ時計工場で製造された。製造数は増やされ、それに伴い価格は低下し、1956年にはクラシカルなモデルは342ルーブルになった。その頃、「ポベダ」は仕事用として配布されるようになり、技師から畜産農家に至るまで、すべての職業の人たちに贈られた。そしてこのプレゼントは誰にも最高に喜ばれた。またこの「ポベダ」は輸出用に17種類作られ、中国やその他の国に輸出された。

 「ポベダ」もソ連の多くのブランドと同じ運命を辿ることとなった。1990年代初頭、国内では外国の時計が販売されるようになり、「ポベダ」よりも人気を博するようになったのである。 

 2014年、ペトロドヴォレツ工場が、「ポベダ」の製造をクォーツ時計として再開した。値段は7,000ルーブルから23,000ルーブル(およそ11,00034,000円)。クラシカルなモデルから、レディース用のピンクのもの、また「クリミア2014」シリーズなどもある。

 

5. ケーキ「鳥のミルク」

 口どけの良いスフレが入ったふんわりしたケーキをチョコでコーティングしたこの「鳥のミルク」は、ソ連時代、お祝いのテーブルを飾る主要なデザートであったが、このケーキは1978年、モスクワのアルバート通りにあるレストラン「プラハ」のシェフ、ウラジーミル・グラルニクが考案した。そしてグラルニクは、4年後、このケーキの特許を取得した。「鳥のミルク」は、1日に2,000個作られ、火の鳥が描かれた箱に入って売られた。グラルニクは、ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長の記念日に、15キロもの重さの「鳥のミルク」を作ったと打ち明けている。雑誌「ディレッタント」は、「そのケーキを書記長が気に入ったかどうかは知りませんが、すぐに外れてしまう義歯だらけだったブレジネフが食べることができるケーキだったことは確かです」というグラルニクの言葉を紹介している 

 現在、「鳥のミルク」は全ロシアのブランドであり、様々な会社によって作られている。ただし現在は多くの保存剤が使われている2011年以降は、「クラースヌィ・オクチャブリ」、「ロト・フロント」などの製造工場を傘下に置き、非常に柔らかいケーキを販売している「統一菓子工場」のブランドとなっている。 

ソ連の伝説のケーキ「鳥のミルク」の味について知りたいという方は、こちらからどうぞ 

6. ウォトカ「ストリーチナヤ」

 モスクワの有名なホテル「モスクワ」(現在はフォーシーズンズホテルが立っている)の建物を背景にした金色の文字は世界中で知られている。このボトルは、ビリー・ボブ・ソーントンが「バッドサンタ」で、またチャーリー・シーンが「ハーパー・ボーイズ」やその他のハリウッド映画の手に握られて登場する。 

ウォトカ「ストリーチナヤ」についてさらに知りたい方は、こちらからどうぞ

 このウォトカの製造法と商標は1938年に考案され1941年、封鎖中のレニングラードで初めて作られたが、大量生産が始まったのは2年後の1943年であった。「ストリーチナヤ」はその値段から高級ウォトカとされた。13ルーブルであったが、当時の同様のウォトカよリも3050コペイカ高かった。

 1990年代、「ストリーチナヤ」を数十年間、製造してきた対外貿易協会「ソユーズプロドインポルト」は企業化した後、このウォトカに対する権利を失い、その後数年は誰でも「ストリーチナヤ」という名前のウォトカを製造することができた。1997年、同じ名前を持つ民間企業がこのブランドの権利を取得し、オランダの法人スピリッツ・インターナショナル社に売却した。以来20年間、「ストリーチナヤ」の商標はこの民間の国際企業が所有していた。

 しかし2018年になって、この商標の譲渡は不法とされ、政府は「ストリーチナヤ」を新たな国営企業「ソユーズプロドインポルト」社に譲渡した。「ソユーズプロドインポルト」は国内外におけるウォトカの製造と品質を管理している。

 

7. バイク「ウラル」

 ブラッド・ピットやスティーヴン・タイラーなどの有名人も乗っていたサイドカー付きの非常に印象深いバイクは1941年からイルビト工場で製造されている。最初は軍用に開発されたが、その後、民間人用としても製造が始まり・・・、お察しの通り、1990年代まで作られていた。

 ソ連崩壊後、工場は倒産し、2006年には新たな経営者が外国から部品を集め、工場を整備し、同じ年には1755台のバイクを製造した。すべてのバイクが外国に輸出された。

 年間生産台数は13万台から1200台に削減され、「ウラル」の価格は821,000ルーブル(およそ120万円)からで、アメリカ、オーストラリア、日本などの国で非常に人気がある。「ウラル」は、値段が高く、またもっと早い時代のソ連の「ウラル」のファンたちが改良を望まないことから、ロシア国内ではあまり人気がない。

ロシア以外の国で大人気のソ連のバイク「ウラル」についてもっと知りたい方は、こちらからどうぞ。

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