午前5時、オレンブルク(モスクワから1,400㌔)のあるクラブでは、ふわふわの黒髪をした若いウェイターがシフトを終えて、ベッドに横になり、天井を見つめている。聴いているのは、ロシア人ラッパーMiyaGiの歌である。「ここはイカれてる、セラヴィ!俺たちは疲れ果ててる、助けて!」
ビラルはウェイターとして働くようになってからもう12年になる。1週間に6日勤務しているが、仕事をしている数時間は笑顔を顔に「貼り付けて」いる。
「ニコニコしていればみんなに好かれて、チップをもらえるとずっと言われてきたんです。そのステレオタイプが消えなくて、自動的に微笑むようになりました。でもそれに対して微笑みを返してくれる確率は半々です」とビラルは話す。「ただそうやって無理に微笑んだ後の夜中は本当にどんよりした気分になります。同僚も同じことを言っていますね。多分、お客さんにエネルギーを与え尽くしてしまうんでしょうね」。
仕事が終わると、ビラルはいつもMiyaGiの音楽をかけながら、いつか自分の店を開き、レストランビジネスについての本を執筆し、カクテルを出したり、笑顔を作ったりしてお金を稼がなくてよくなる日を夢見る。
職業連盟の「スマイリング・レポート報告書」 によれば、2019年、ロシアの商店、カフェ、レストランで働く店員たちは2010年に比べて18%多く微笑むようになったという。ロシアの店員がもっとも多く微笑んだのは2017年で、初めてランキングで2位に入った。世論調査機関レヴァダ・センターの社会学者、カリーナ・ピピヤ氏は、2017年は、調査でも、総じて、人々が人生にも政権にも収入にも満足していた時期であり、世の中全体が明るかったことによるのだろうと指摘している。
ちなみにコロナ禍の2020年はというと、キャビンアテンダントやウェイター、店員などによれば、ロシア人はあまり笑わなくなったとのことで、こうした改善傾向も消えてしまいそうである。
ダリヤは2021年4月に、ロシアの主要な航空会社のキャビンアテンダントになった。勤務を開始するにあたっては、特別な訓練を受けたという。
「授業では、制服を着るときに、一緒に微笑みを身につけ、悩みや問題はすべて地上に置いて行くようにと習いました。心理学者たちが、前向きな気持ちになる方法を教えてくれ、瞑想するようアドバイスしてくれました。しかし、乗客がシートベルトを締めないとか、マスクを外すなど、ルール違反をすると、笑顔どころではなくなり、真剣になってしまいます」。
ダリヤが言うには、キャビンアテンダントの微笑みに対してロシア人は「無反応」だと言う。つまり、微笑みを返してくれることはない。ダリヤ曰く、ヨーロッパの人々や外国に行く機会が多いロシア人はよく笑うが、国内線に乗っているロシア人はあまり笑わない。ただし、ダリヤはまだアジアの国に行ったことはないのだそうだ。
3年以上キャビンアテンダントとしてのキャリアを積んでいるアンナもダリヤの意見に同調する。 アンナは、ロシア人がよく微笑んでいたのは2018年のサッカーのワールドカップのときだったと回想する。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大とともに、飛行機内で微笑む人は少なくなったという。航空便の数自体も同じように少なくなった。
「想像できないかもしれませんが、ワールドカップ開催中、飛行機の中でも試合の結果が発表されて、皆、ニコニコ笑顔で、皆、とても幸せな気分でした。すべてが明るく、人も皆、優しい気持ちになっていました。最近は、乱暴な人なら、微笑みかけても、失礼な態度を取ってくることすらあります。微笑んでいる人がいたとしても、マスクをしていれば見えませんし、航空業界はウイルスの影響を受けて、キャビンアテンダントも微笑む気分でもありません。解雇されて、職を失った人もいます。コロナ禍で皆、疲れてしまい、皆、冷酷になっている気がします」。
一方、キャビンアテンダントになって2年以上というナタリヤ、コロナの感染拡大でマスクの着用が義務付けられるようになって、微笑むことが少なくなったと話す。
ナタリヤは言う。「でも、わたしたちは目で微笑むことを学んできています。そうすれば、乗客もそれを感じて、同じようなフィードバックをしてくれます」。
2020年10月、ロシアの大手航空会社「ポベダ」は、3,500個のシリコン製の笑顔トレーニング器を購入しようと計画していた。口にはめて使うもので、「ポベダ」はこれを、キャビンアテンダントを養成するスクールの授業で使おうと計画していたが、その月のうちに、まずは最低限の数で試験的に使いたいとして、大量購入をキャンセルした。
「ポベダ」の広報は、ロシア・ビヨンドの取材に対し、「弊社のキャビンアテンダントたちは 完璧な笑顔を身につけています。毎日、機内での雰囲気が最高だったと感謝のメッセージをいただいています」と述べている。
ウェイトレスになって9年になるナタリヤは、地方のカフェやレストランを訪れる人たちはほとんど微笑むことはないと指摘する。
「ヴォルゴグラードでは誰もほとんど微笑むことはありません。モスクワに引っ越してきたときには、モスクワのお客さんがフレンドリーで親切なのに驚きました。地方の人たちに微笑みかける意味はないと思っています」とナタリヤは打ち明ける。
地方では、商店でもショップでも、状況は同じだと話すのは、イルクーツクのワインショップ「アブラウ・ドゥルソ」の店員、ロマン・ゴトフコ。
「お客さんが微笑んだり、明るい顔をするかどうかは、以前と同様、自分自身の悩みや問題で気持ちに余裕があるかどうかによると思います。わざとではなく、心から微笑みかければ、お客さんからも微笑みを返してもらうことができます。とはいえ、一般的には、ロシア人は全体としてあまり笑わなくなったと感じています」とロマンは言う。
一方、 携帯ショップ「スヴャズノイ」で働くクセニヤ・セミョンキナは、ここ5年で来店客の微笑みはかなり少なくなったと話している。しかし原因は個人的な悩みのせいではなく、皆、店員がニコニコしているのに慣れてしまったためだろうと指摘している。
「競合する店舗がたくさんあり、どこもサービスは悪くありません。ですから人々はそれが当たり前になったのです。ですからもう店員に微笑みを返す必要もないと思うようになったのでしょう」。
家具店のレオニード・サプチェンコも、微笑むロシア人の数は減ったということに同意しつつ、その理由はロシアに貧しい人の数が増えたからだと考察している。
「2012年には、アパートの家具を買い換えたりして、もっとみんな微笑んでいたと思います。今はお金をどう使うか決めるのも難しく、微笑みどころではないのです」とサプチェンコさんはいう。
レヴァダセンターのカリーナ・ピピヤ氏は、ロシア人の2人に1人が、残酷さ、恐怖、憤慨、嫉妬など、マイナスな感情をより頻繁に感じていると確信している。
ピピヤ氏は言う。「全体として、ロシア人の頭の中では、微笑みは幸せの同義語や何か肯定的なものではないのです。しかもロシア人が持っているネガティヴな感情は自然に微笑みに変わったりはしません。一方で、サービス業界での仕事(微笑みが求められる職業)の基準も変わってきていて、肯定的な方向に導いているのかもしれません」。
心理学者のオリガ・ゴリツィナ氏によれば、サービス業界では実際、人々に微笑むことや前向きな考え方と言うものを教えようとしていますが、常に微笑み続け、毎日ポジティブな考え方をし続けるというやり方ではうまく行かないという。
「人はずっと笑い続けることはできません。人は周囲で起こるさまざまなことで、異なる感情を持ちます。そしてこれらの感情が顔に出るものなのです。日常の問題、お金の問題、家庭の問題をずっと笑顔の奥に隠し続けることは不可能です。そんなことをすれば健康を害してしまいます。ただ、もし精神科医のところに行って、この問題に対処しようとするならそれはまた別の話です。アメリカやヨーロッパではそのようにして問題に対処する文化があります」。
ゴリツィナ氏によれば、ロシア人が微笑まないのは、ロシア人が粗野で悪人だからではなく、自身の感情をうまく処理することができないからだと述べている。これがロシア人の「陰鬱な」国民性という印象を形作っているのだというわけである。
「微笑むためには、何よりも自分自身と向き合う術を知らなければなりません。それができたとき、ロシア人ももっと微笑むようになるでしょう」。
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