それにしても…なぜロシア人は笑わないのか?

Irina Baranova
 このアメリカ人男性は、最近3年間サンクトペテルブルクに住んでおり、ロシア人の笑顔のあらゆるニュアンスをぜんぶ経験している。そして彼は「ブスッと仏頂面のロシア人」という先入観が実は正しくないことを証明した!さらに、彼の出身地マサチューセッツ州の人々は、ロシア人以上にスマイリーなわけではないことも。

 私はマサチューセッツ州の出身だ。我々の州の出身者は、「Massholes」(Asshole=「ケツの穴」、「嫌な奴」に引っかけている)と呼ばれている。

 我々は、こういう偏見にわざと乗っかって、例えばこんなジョークを飛ばす。「僕は君にコーヒーを飲ませてあげた。そのうえ笑顔まで欲しいというなら、追加料金を払ってもらおうか」。これに対し、他州の連中はこうやり返す。「スゲー、嫌な奴(Massholes)!」

 米国人は、ロシア人に対してもこんな感じをもっているのだ。少なくとも米国人の目から見ると、ロシア人はいつも不機嫌で笑顔がないように思える。

 もっとも、マサチューセッツ出身者は、人々のオープンで陽気なナンセンスを250年間聞かされてきただけだが、ロシアはといえば何世紀にもわたって非難に甘んじてきた。

 マサチューセッツ人のいわゆる「冷たさ」は、他者への特定の態度を示すものではない。人間関係はすべて個人の選択の問題だ。そしてロシアにも、同様の誤ったステレオタイプがあり、世界のロシア人観をそれで覆い隠している。

 とはいえ、マサチューセッツ人には、確かに「冷たさ」があり、それにありもしない優しさを「塗りたくったり」するべきではない。

 そこで私は、何人かのロシア人に、彼らに対するステレオタイプがどこから来たのか、そして何が彼らを笑わせるのか尋ねてみた。だから、「笑わないロシア人」に関する記事やジョークが次に出る場合は、これは便利なリファレンスガイドになるかもしれない。

「無意味な笑顔は愚かさのしるし」

「たぶん、あなたはこんなロシアの諺を聞いたことがあるわね。『理由もなく微笑んだり笑ったりするのは愚かさのしるし』」。サンクトペテルブルク市民である友人のナージャはこう言う。

「でも子供たちは自然に笑顔になることが多いので、頑迷な親や教師は、このたわ言を子供たちに吹き込むわけよ。では、なぜこんな諺が歴史的にロシア文化に存在してきたのか?これはもっともな疑問よね」

 ナージャは、ロシアの農民の生活にルーツがあると推測する。彼らの生活は、生き延びるための絶え間ない労力であり、過酷な自然条件を克服しつつ行われる農耕である。その結果、「人生は喜びではなく苦しみ」という人生観をもたらす。そして多くの場合、笑う人間は不機嫌な他人を苛立たせるだけだ。「お前、自分を見てみろ。お前は生意気にも幸せぶっている。だが、俺は苦しんでいるんだから、お前も苦しむべきだ」…

「私たちロシア人は、イタリア人みたいに、『甘い生活』を送るようにはできていないのよ」。ナージャは付け加える。

 ナージャ自身について言えば、彼女が笑うのは次のようなときだという。 

  1. 彼女の愛する人、またはかわいい動物を見る。
  2. 給料などの支払いを受ける。
  3. 休暇を楽しみに思い浮かべる。
  4. 「もちろん」、滑稽な冗談や馬鹿げたミーム。

笑わない「ソビエト顔」とドストエフスキーの遺産

 ヤラは、うまいジョークで笑い、リラックスできる人だが、彼女は、笑顔のないロシア人の顔つきを「ソビエト顔」と呼んでいる。そして、それがソ連時代の教育の一部だったと信じている。つまり、ある程度お金を稼ぎたいか成功したいなら刻苦勉励すべし、と叩き込まれてきたから、いうわけ。

「だから、誰もが怒りっぽくて疲れているの。それで、私はそれをソビエト顔と呼ぶわけ」。彼女はこう言う。

 私が友人のサーシャに、なぜこんなステレオタイプがあるのか意見を聞いてみると、彼はこう答えた。

「たぶん、最もありふれた説明は、『誠実さ』の観念に基づいていると思う。つまり、ロシア人は自分が本当に感じていないことを表現しないという意味だよ」。サーシャはさらに、他のあり得る説をいくつか加えた。

1. 歴史。ある事件(ロシア革命)が起こって、ロシア人は一世紀にわたり一方的に抑圧を強いられた。

2. 国民性。要するに、ロシア人は皆ひたすら悲しいのである。ドストエフスキー、チェーホフ、トルストイらの作家が描き出したキャラクターを思い浮かべてみよう。ロシア人の一般的特徴は、行動、喜び、幸福のいずれでもないということだ。

「ロシアは哲学者の国だ。我々はいつも、物事をあれやこれやと過剰に解釈し、何が起きているのか理解しようとし(ふつうは何も良いことはない)、現実を説明しようとする。しかも、過去を踏まえて行動し、より良い時を創り出そうとするのではなく、ただ受け身でいるんだ」。サーシャは語る。

しょっちゅう笑うロシア人はたぶん外国暮らしをしたことがある

 サーシャは、ロシア人は男女に関係なく、「死」について考えているせいで笑わないことがよくるのではないか、と言う。あるいは、ロシアの現実におけるその他さまざまな事物――政治、屈辱、抑圧、社会の無力、周囲の醜悪さ、他人も自分も良くない人間であること、等々…――について考えるせいでムッツリしていると。

「もし、ある人がいつも笑顔で付き合いやすいとすれば、たぶんイタリアかどこかの外国で長く生活していたんだと、僕なら思うね。つまり、ロシアみたいに酒を飲んだり本を読んだりするかわりに、笑顔で美味いものを食べているような国で暮らしていたんだとね」

 では、サーシャはどんなときに笑うのか。これについて彼はこんな話をしてくれた。

「僕を本当に笑わせてくれるものは…。さあ分からないな。いろいろあるからね。僕がいちばん最近大笑いしたのは、市中心部のスーパーマーケットの一つで起きたできごとだった。酔っ払った男がレジの行列のいちばん前に割り込もうとしたんだ。『俺は、カザン市役所の人間で、どの勤労者も俺に敬意を払い、俺の言うことに従うぞ』と喚いてね。レジ係は、男をまじまじと眺め、長い間沈黙していた。他の人たちも皆、おとなしくただ黙っていた(たぶん、死とアルコール依存症のことでも考えていたんだろう)。そして、レジ係はやおら口を開いて、こう言い放った。『ここはサンクトペテルブルクのネフスキー大通りです。誰もカザンの政治屋のことなんか気にしないわよ』 」

 オーストリア在住のロシア人、マリアは、かわいい犬や赤ちゃんなどを見てはよく笑う。彼女は、ロシア人が笑わないのは歴史と関係があるかも、と考えている。

「ロシアの歴史はその国民に大きな影響を与えたの。20世紀は、たくさん笑えるような時代ではなかった。だから、もし誰かが笑っているなら、その人は他の人よりも暮らし向きが良いのだろう、ひょっとして何か財産でも隠しているんじゃないか…。こういう疑惑を持たれて、当局に突き出されることになりかねなかった」。彼女は私に話してくれた。

ロシア人も米国人と同じもので笑う

 ロシアでは笑顔が少ないのは事実だが、本当の笑い、微笑みをもたらすものは米国と同じだ。ロシア人は歴史的に、より多くの世界の「暗部」に対処しなければならなかった。それは、歯を見せつつ飲み込むのはかなり難しかったのだ。 

 ロシア人の冷たさに関するステレオタイプは、「アメリカン・スマイル」についてのそれと似たり寄ったりの起源を持っている。それは冷戦時代のプロパガンダの名残で、言ってみれば、我々の「文化的な冷蔵庫」の一番下の引き出しで腐臭を放っているのだ。ちなみに、このステレオタイプは、米国の北部と南部の「違い」に関するそれと、基本的にほとんど変わらない。

 私がマサチューセッツを離れて南部を訪れたときのことだが、他の「北部人」に、なぜ南部では皆こんなに笑うのかと聞いてみた。すると、十中八九は、「連中はアホの集まりだからさ」という答えだった。

 笑ってもアホにならないし、笑わなくても「冷たく」なるわけではない。結局のところ、米露の文化のいずれでも、人々を笑顔にするものはそれほど大きな違いはない。子犬、ジョーク、ミーム、そして食料品店で並んで欲しいものを手に入れたときの間抜け顔。

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