ロシア・マフィアの凶暴なボス、「規律ある泥棒」とはどのような人々だったのか

David Cronenberg/Focus Features, 2007
 裏社会でたとえ一瞬でも栄華を極めるためには、度胸と運が必要だった。

 2013年1月のある日、モスクワ市警のトップが犯行現場に到着した。モスクワの中心部で白昼堂々起こった殺人事件。男は頭を撃たれて死んでいた。財布から身分証明書を見つけるまでもなかった。ロシアで最も影響力のある「規律ある泥棒」の一人、ジェド・ハサン(「ハサン爺」)のむっくりした顔を知らない者はいなかった。

 1990年代のロシアの街中には犯罪者が溢れていた。だが、悪党どもはどのようにして泣く子も黙る有力なヴォール(「泥棒」)に成り上がり、そしてなぜ「規律ある」と形容されたのだろうか。

 

スターリンの収容所の泥棒たち 

 「泥棒」は帝政ロシア時代から存在したが、スターリンの弾圧によってこの社会集団ははっきりとした輪郭を持つようになった。グラーグの収容所では、怒れる囚人らが合法社会を拒絶し、厳格な階層、独自の言語、不文律を持つ暴力的な裏社会を形成した。 

 泥棒たちは法を軽んじたが、彼ら自身が作った新しい「法」である不文律に従って生きることを誓った。これを破った者はしばしば死の宣告を受けた。

 ロシアの裏社会への命懸けの旅は、いつも小さな犯罪から始まった。

 悪名高い犯罪組織のボス、「ジェド・ハサン」の名で知られたアスラン・ウソヤンは、19歳で最初の刑期を過ごした。警官に抵抗したかどで有罪判決を受けたのだった。その後も違法に外貨取引をしたり、強盗を働いたりして服役を繰り返した。 

 やがてジェド・ハサンは、ロシアだけでなく独立国家共同体(CIS)の中で最も有力な犯罪組織のボス、「規律ある泥棒」になっていく。

 ジェド・ハサンをはじめとするマフィアのボスらが1990年代にロシアの裏社会で持っていた影響力の大部分は、彼らの暴力的な性格、容赦のなさ、危険を顧みない大胆さによって得られたものだったが、彼に「泥棒」の称号を正式に授けることになる謎めいた儀式もあった。

 

「戴冠式」 

アスラン・ウソヤン

 裏社会の「戴冠式」は、ある者をプロの犯罪者、つまり「規律ある泥棒」の一員として認めるための儀式だった。「規律ある泥棒」は、ロシアの裏社会全体で認められ、尊敬を集める称号だった。ソ連崩壊以前、マフィアの上層部に属すると認められる方法はこれしかなかった。 

 大半の「泥棒」のスタート地点は刑務所だった。荒々しい資本主義とビッグマネーの時代の到来で、ソビエト時代に比べて不文律は緩んだものの、服役はなお「正しい」道と考えられていた。とはいえ、儀式や称号が巨額の金で売買されているという噂もあった。 

 だが一般的には、正式にロシアのマフィアの一員となるには時間と努力を要した。有罪判決を受けた犯罪者は、もし「規律ある泥棒」を目指すならば、刑務所で「誇りある」生活をせねばならない。つまり、刑務所の職員に媚びず、あらゆる手で彼らの威信を崩さねばならない。「規律ある泥棒」の称号を持つ先輩の中から、後ろ盾となる強力なパトロンを得る必要もあった。 

 「規律ある泥棒」を目指す者は、自らを「ストレミャーシチーシャ」(「[泥棒]志願者」)と呼んだ。受刑者の「志願」の報せは全国的な刑務所ネットワークを通じて広がり、ロシアの遠隔地の刑務所にも達した。

 これには理由があった。「泥棒志願者」が何か「不適切な」こと(警察に協力したり、過去に疑わしい仮釈放を受けたり)をしているところを目撃した者は、ただちに刑務所の先輩犯罪者らに報告しなければならなかった。そこからさらに上へと情報が回された。 

 誰も「ストレミャーシチーシャ」について不利な情報を流さなければ、彼は最も尊敬を集める有力な「泥棒」たちの会議に召喚される。「泥棒」たちは志願者に過去の行いについて尋ねる。刑務所内で反乱を主導したことがあるか。看取への不服従を堂々と示したか。「オプシチャーク」(犯罪シンジケートの違法な隠し基金)のために金をいくら貯めたか。

 非公式の「履歴書」は、忌々しいものであればあるほど良かった。兵役や警察への協力、薬物乱用などの経歴は、裏社会の不文律の重大な違反と見なされた。

 候補者の回答に全員が満足すれば、「泥棒」たちは戴冠式と呼ばれる儀式で彼が「泥棒」に仲間入りしたことを宣言する。戴冠式といっても優雅なものではなく、実際に冠があるわけでもない。会議でその者が「彼らの一員」になったことが宣言されるだけで、それが済めば人々は解散する。この瞬間、新しい「規律ある泥棒」が「誕生」するのだった。

 

ゲームのルール 

 戴冠式の後、新生の「泥棒」は一切の合法的な生活様式を永遠に放棄することを宣言する。どこかに勤めたり、合法的に金を稼いだり、兵役に就いたり、公権力に追従したりしてはならなかった。 

 代わりに、「泥棒」はふつうの犯罪者には手に入らない特権を受けることができた。「彼らは互いを兄弟や相棒と考えていた。彼らは互いを支え、互いに正直で、互いのために裏切りを監視していた」と元警察大佐で作家のセルゲイ・ディシェフは記している。 

 しかし、ソ連崩壊がゲームの様相を変えてしまった。かつてのグラーグに代わり、今度は1990年代の荒々しい無法な資本主義が「泥棒」を変えたのである。

 

「粗野な90年代」 

 かつての仲間たちは、互いの縄張りを争う中で対立していった。彼らの価値観まで変わってしまった。

「[現在]彼らはもはや自分たちを主流から切り離さなくなった。彼らは、自分たちがヴォロフスコイ・ミール[泥棒界]の一員であることを知らしめるタトゥーを入れなくなった」とロシア・マフィアを研究する学者のマーク・ゲイリオティは綴っている。 

 合法的な手段で収入を得ることを避けるという厳粛な誓いも消え去った。十分な力と影響力を持つ者が作り上げた犯罪帝国が1990年代に繁栄を極め、ロシア経済の全分野に浸透していった。

 「規律ある泥棒」の一人、シューリク・ザハルは、ロシアの首都を舞台にチェチェンやジョージア(グルジア)のマフィアのボスたちと激しい抗争を繰り広げたことで知られるが、酒類の小売業や自動車販売業に投資していた。

 

 別の「規律ある泥棒」、パーヴェル・ザハロフは、コロンビアからロシアへコカインを密輸していたが、新しいビジネスのやり方を擁護していたと言われる。「泥棒のオプシチャークは良いものだ。だが時代の空気に合わせ、泥棒界には権力者がビジネスに関わることで築かれる強力な財政基盤が必要だ。」 

 特に強大で機略に優れた「泥棒」らが、一時期ロシア経済のかなりの部分を支えていた。ジェド・ハサンの犯罪帝国は、銀行やカジノ、ホテル、市場、レストラン、その他の主要なビジネスに株式を持ち、その範囲はロシアとCISだけでなく、ヨーロッパにも及んでいたと言われる。

 

「泥棒」の終焉

 だが、多くの「泥棒」を廃業に追いやった社会の劇変は、「泥棒」たちがかつて互いに抱いていた敬意を蝕むことになった。1990年代以前、「戴冠」した「泥棒」を、「泥棒」コミュニティーの事前に了承を得ずに私刑で殺せば、容疑者は死ぬ運命にあった。だが1990年代にすべてがひっくり返った。かつて聖域にいた「泥棒」が車ごと爆殺されたり射殺されたりする事件が頻発し、こうした報道に誰も驚かなくなった。

 「こうした連中の間で紛争が起こったの要因は2つ、権力と金だ。他に理由はない」と警察中将で教授でもあるアレクサンドル・グロフはあるインタビューで語っている。

 2013年1月のある日、当時最も有力な「規律ある泥棒」の一人だったジェド・ハサンは、モスクワ中心部のレストランにある秘密の事務所に向かって歩いていた。彼は銃声を聞かなかったはずだ。ヒットマンが用いたのは、ロシア製の消音ライフル「AS VAL」だった。弾はハサンの頭に命中し、彼は死んだ。自身が築き上げた犯罪帝国と無常の世を後に残して。

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