解離性同一性障害を抱える人々はロシアでいかに生きているのか?

Legion Media
 彼女は自分自身を解離性同一性障害(多重人格障害)であると考えている。しかし医師らはその診断を下すことができないという。

 一人の若い少女がカフェに入っていく。彼女はオーダーをし、自分のテーブルへと向かっている途中で、急に上着のポケットにミネラルウォーターのボトルを持っていることに気づく。しかしそれをいつどこでポケットに入れたのか覚えていない。どうやってその水を手に入れたのか思い出せないし、お金を払ったのかどうかも覚えていないのである。

 18年の人生で、エステリ(先日まで学校に通っていたモスクワ出身の少女はもう随分前から自身に仮名をつけている)の身にはときどき説明できないことが起きた。物があるべき場所になかったり、突然、自分のiPhoneのパスワードが変わっていたりするのである。

 それらがどうやって変わったのかはエステリには思い出すことができない。しかし彼女はそれがなぜ起こるのかははっきりと理解している。「わたしの中には自分以外に3人の人格が存在しているのです」。

頭の中で響く声

エステリ(写真):「わたしの中には自分以外に3人の人格が存在しているのです」。

 エステリの細い腕には隙間がないほどタトゥーが彫られている。タコの触手が手首に描かれ、その横には「Do what thou wilt」(汝の欲することを為せ)という文字が入れられている。激しい音が聞こえるたびに、彼女は振り向き、その音が止むまで会話を中断する。

 「これは内なる対話に似ていますが、相違点があります。人が内なる対話を試みるときにはフレーズを考え、そのフレーズを使って答える。つまりそのフレーズを人は前もって知っているわけです。しかし、別の人格と対話をするときには、彼らが何を言うのか、あなたは見当もつきません」とエステリは信じがたいことを説明する。

 解離性同一性障害(かなり珍しく、多くの論争を読んでいる障害の公式名)を抱える人々がどのように感じているのかをよりよくイメージするには、「スプリット」という映画を観ることだろう。3人の女子高校生を連れ去った男が、実は23もの人格を持つ解離性同一性障害者で、その23の人格それぞれと被害者となった女子高校生とは個別の関係性があったという物語である。

『スプリット』(Split)は、2016年のアメリカ合衆国のホラー・スリラー映画。多重人格者の犯人に誘拐された女子高生を描く。

 映画とは異なり、エステリの体には自分自身以外に3つの人格しか存在しない。しかもこの3つの人格と彼女自身との関係も映画ほどドラマティックではない。

 「言ってみればわたしは少し後ろに下がったところにいるんです」。エステリはうなじを指して言う。「3人のうちの誰かが出てきて、わたしの代わりに何かしてくれます」。

 まったく記憶を失うことはたまにしかない。「15分くらいして、まるで夢のように、起こったことを断片的に思い出すんです」。

 頭の中で声がすることはあるという。しかしそれを彼女は、ブロックバスター映画のシナリオライターのようにドラマティックには表現しない。「幻聴は聞こえません。これは内なる独白のようなものです。その独白のようなもの、どこから聞こえるのか分からないという感覚とともに聞こえるのです」。

 エステリがその存在を感じている3つの人格にはそれぞれがはっきりした機能を持っているという。「1人はマックス。彼はわたしを守ってくれる人。調子が悪いとき、彼はすべての感情をオフにしてくれます。完全な平穏とも言える状態で、まるで肩車をしてもらっているような感覚です。わたしは彼の肩に座って、彼が歩いてくれる。ちょっと体を動かすと彼が何かを済ませてくれる。わたしは何の心配をすることもないんです」。

 2つ目の人格をエステリはフランキーと呼ぶ。フランキーは他の人々とのコミュニケーションを担当しているという。エステリ自身は閉鎖的な印象があり、他人に対しても慎重で、知らない人と話すのも好きではない。「フランキーの中には社会的な機能が備わっていて、彼女はファッションが好きで、人と話すもの好きで、とても丁寧なんです。コミュニケーション機能を果たしてくれています」。

エステリがその存在を感じている3つの人格にはそれぞれがはっきりした機能を持っているという。

 そして3つ目の人格はチャーリー。エステリの説明によると、チャーリーは普通の人々が「理性の声」と呼ぶようなものらしい。ただし一つ違うことがあるといい、エステリは「わたしは彼に他の人格と話してみてと言うことができるんです。そしてこれがうまくいくんです」。

 こんな風に、彼女が自分自身に起こっていることについて納得できる説明をしようとしていることは、信じられないことです。しかも彼女は医師に何かしてもらおうとは思っていない。

難しい確定診断

 自分の中にいくつもの人格が現れることによって不調に苦しむ人々について、医学会では2つの考え方がある。

 モスクワの第13番精神神経寄宿学校、総合心理精神部の代表を務める精神科医のウラジーミル・モトフ氏は「医学会には、剥離性同一性障害が絶対にあるということについてまだ完全な合意には達していません」と話す。

 アメリカのジョージ・ワシントン大学の医療センターでの研修をしているロシアの専門家は個人的な経験の中で、アメリカの主要な学者らは多重人格の患者がいるということについて一致した見解に達していないということを知った。

「医学会には、剥離性同一性障害が絶対にあるということについてまだ完全な合意には達していません」

 モトフ氏は「ジョージタウン大学のある教授は、30歳の女性が2歳の女の子に姿を変え、行動もまったく変わり、泣きそうな声で話しだすのを自分の目でしっかり見たと熱く語っていたんです」と話す。しかし2002年にアメリカで研修をしたとき、自身はそのようなケースを目にすることはなかった。

 多重人格を持つ人々がいるということが大きな関心を呼ぶようになったのは、1950年代。ちょうど多重人格者を主人公にした映画「リジー」と「イブの3つの顔」が1957年に封切られ、話題を集めた後のことである。

 やがて、研究者たちもこの説明のつかない診断に関心を持つようになった。まるでこの障害に苦しんでいる人たちが人々にカミングアウトし始めたかのようであった。

映画『ファイト・クラブ』にも多重人格のテーマが挙げられた。

 1985年、ニューヨークタイムズ紙は職場で突然、発作を起こした航空会社でフライトプランを作成していたジョンに関する信じられない事件についての記事を掲載した。彼はパイロットと子供のような声で、脈絡のない話をし始めたというのである。ジョンには「多重人格障害」という診断が下された(20世紀末、解離性同一性障害はこのように呼ばれていた)。

 しかしこの診断が正しいということをすべての専門家が確証できたわけではなかった。多くの精神科医はこのような診断を下すべきではないと公的に意見した。

 医学会の一部からは疑問視されながらも、研究は続けられ、社会からの関心はさらに高まっていった。1998年、シカゴの聖ルーク医療センターの医師、ベネット・ブラウン氏は多重人格障害との診断を下された患者たちの大掛かりな研究を始動した。ブラウン氏は患者たちの意識の変化が体の特徴まで変えることがあるということを説明しようとしたのである。たとえばなぜ1人の患者のオレンジジュースに対するアレルギー反応が、その患者の中にある他の人格によってさまざまに違うのかということなどである。

 しかしブラウン氏がこの研究を終えることはなかった。ちょうど1年後の1999年、彼は2年間にわたって医師免許を剥奪され、その後5年間は多重人格について研究することを禁じられたのである。その決定を受けたとき、ブラウン氏はすでに60歳。その後、再び職場に復帰することはなかった。

ロシアにおける多重人格障害問題 

 ロシアでは多重人格障害の診断は下されない。多重人格というものが証明された症例がないこと、この問題について表面的にしか研究されていないことから、ロシアの医師たちはこの障害に対しては非常に懐疑的な見方をしている。

 「ロシアでは専門的な精神科医の間でもこのテーマについて話すのはためらわれる感じがあります。経験豊かなロシアの精神科医に、多重人格について質問しても、その医師はそれは何の話ですかと言うでしょう」とモトフ氏は言う。

 モトフ氏はこの障害の診断へのアプローチに関するロシアとアメリカの違いを、異なる大陸で医師らは異なる学派の下で医療を行っているからだと説明する。「心理・精神科についての多くの認識がロシアとアメリカでは非常に異なっているのです」。

ロシアでは多重人格障害の診断は下されない。

 エステリにとって、これは問題であった。彼女は言う。「わたしが鬱のときにかかった精神科医に自分の感じていること(多重人格)を話したとき、彼女はそれはおかしいことだ、ロシアにはそのような診断はないと言ったんです」。

 エステリを診療した精神科医も、彼女の話を懐疑的に受け止め、この問題について職業的に研究している専門家を探した方がいいと助言した。そしてもちろんエステリはそんな医師を見つけることはできず、探すこともやめてしまったという。

エステリは真実を知ることができるのか?

 エステリはカフェのテーブルの向こう側に座り、ボトルの水を飲み、コーヒーマシンの大きな音がするたびに会話を中断する。彼女は幼い頃に父親から性的虐待を受けたことや、意識の中で論争する声が聞こえることや、記憶が途切れること、気分の波が激しいこと、深刻な鬱状態があること、そして頭の中で“生きている”3つの人格のことなどを、まるで食料品を買いに出かけたことのように話す。

 その話を誰かが信じるかどうかは彼女にはどうでもいいことであることは明らかであった。しかし彼女自身はそれを信じているのだろうか?

「その人の中にある人格を、別々の人間だと考えている人がいます。しかし、わたしの身に起きていることはわたしの頭の中で起こっていることで、これを別々の人間とは考えていません」とエステリ。

 エステリの親しい友人2人は、隠れた人格が現れることで何かおかしなことが起きた記憶はないと断言するが、彼女の話は信じているという。「会話の途中で、彼女の声のトーンが甲高くなったり、荒々しくなったりということはあります」と話すのは、かつて恋愛関係にあった元同級生の一人、イリヤ・ディニン。しかしながら、それ以外に奇妙なことは何もなかったと述べている。

 一方、エステリの学校時代の女友達であるマリアンナ・ジグンは彼女のことを信じたいが、その診断が間違いであるという可能性も残しておきたいと話す。「彼女とその話をしました。そしてわたしたちは話を半分だけ信じることにしたのです。なぜなら批判的思考の余地を与えなければならないからです。わたしは彼女を信じます。でもはっきりとした証明がなされない限り、わたしたちが間違えているかもしれないという可能性もあるのですから」。

 エステリとマリアンナは学校時代、精神医学に夢中だった。とりわけ、鬱、統合失調症、パニック障害などに興味を持っていたのだという。そうであれば、エステリは友人たちの注意を引こうとして自分がそのような障害を持っていると思い込んだ可能性はないだろうか?

 確かにその可能性も除外できない。しかしそんな説明がついたところで問題は何ら解決されない。たとえエステリがその障害を自分で考え出したものだとしても、彼女が多重人格障害を抱えていることを否定することにはならないのである。

 ジョン・ホプキンス大学の精神医学ガイドによると、幼年時代の深い傷以外にもう一つ多重人格障害を引き起こす原因があるのだという。「暗示という手段によって、無意識に解離性同一性障害で見られるような行動をとる人がいる」。その患者が多重人格であると確信しているとしたら、そのことが、実際に、解離性同一性障害の兆候の表れの原因となる可能性があるということである。 

 エステリについて言えば、彼女はもう答えを見つけることはないと思っているそうだ。同じような人たちと交流したいとも思っておらず、専門家の助けも求めておらず、そして自分の中にある他の人格とうまくやっていく方法を見つけたのだという。「わたしたちの間に取り決めがあって、誰もそれを破らなければ、なんの問題があるのでしょう。そこにはなんらかの助けがあります。フランキーはわたしにはなんの興味もないつまらないことをやっていて、マックスは何か起こったときに守ってくれる。そしてチャーリーが与えてくれるのはありがたいことばかりです」。

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