ロシアは宗教的な国、それとも非宗教的な国?

ライフ
エカテリーナ・シネリシチコワ
 ロシアは非宗教的国家である、と憲法には記されている。だとしたら、普通の学校に宗教の授業があったり、宇宙ロケット発射前に宗教的な儀式が行われたりするのはどういうことなのか?

 カザフスタンのステップの真ん中にある宇宙基地、ぎらぎらした太陽に発射場にいる人たち全員が眼を細める。荘厳な静寂の中、エンジニアや機械技師たちが、かつての同僚で今はセルギー神父となった人がロケットのそばで祈りを捧げるのを見つめている。「このロケットの飛行を主が祝福してくださいますよう」と言いながら、撮影に来たジャーナリストたちの一団も含め、周りにいる全員に聖水を惜しみなく注ぎかける。カメラマンたちはおずおずと手で機材をかばっている。

 この儀式はバイコヌールですでに353回も執り行われてきた。ロスコスモスは、1998年から自社のロケットを祓い清めている。ロケットや乗組員になにか起きるたびに、ネットでは必ずと言っていいほど、皮肉をこめて、あるいは真剣に、「もっと良質なものを振りかけるべきだ。だから落ちたんだよ」と書きこまれる。ロシアは非宗教な国なのか、それとも宗教的なのかという議論に直面するたびに、誰かしらが必ずこう口にする。ロケットだけじゃなく、軍事基地も、囚人の護送車も祝福を受けているじゃないかと。

いちばんは軍、それに次いで――宗教

 ロシアに暮らす人の圧倒的多数が正教徒だ。統計から判断すると、全人口の約80%にあたる。残りの部分は、基本的に、イスラム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒だ。しかし、例えば、正教徒の中の何人が斎戒を守っているかといえば、わずか1%ということになる。定期的に教会へ通っている人は、平均して4%――これはロシアの全人口1億4600万人のうちの約580万人にすぎない。さらに、自分は「正教徒」だと名乗っている人すべてが神を信じているわけでもない。信じているのは3分の2だけだ。

 ロシア正教会は、さほど煩わしくない。「われわれは、我が国の人びとの精神的復興の最初の段階にいます」とキリル総主教は言う。教会の権威は、この20年間で成長し続けてきた(教区の数も同様)。承認と信頼のレベルからすると、教会は確固として第二位で、これは軍と司法機関のあいだに位置している。

 正教徒の住人が多い地区はほとんどどこにも、「仕事場」にイコン(聖像画)を置いているバスやタクシーの運転手がいっぱいいる。ただし、このことが彼らの宗教心を証明することになるだろうか?社会学者らは、そうではないと考える。

 「今日では、“私は正教徒だ”という主張が宗教性を意味することは極めてまれです。正教徒の割合は、ロシア国内のロシア人の割合とほとんど一致しています。多くの人にとって、正教は――単に“ロシア人”という語の同義語なんですよ」と話してくれたのは、レヴァダ・センターの専門家ナタリヤ・ソルカヤ氏だ。ロケットを祓い清めることも、タクシー運転手がイコンを置くこととほぼ同じで宗教的な伝統にすぎず、今日ではほとんど意味をもっていない。

 実際は、何を見ることに意味があるのか――それは、宗教的な組織や規律が人々のふるまいに影響を与えているかどうかということだ、と考えるのは、分析センター「ソヴァ」(外国人嫌悪やレイシズムや宗教が社会に及ぼす影響のレベルを追跡している)の所長アレクサンドル・ヴェルホフスキー氏だ。ここにも一義的には解釈できない状況がある。

宗教的なロシア人はどこに住んでいるのか?

 2017年にベロゼリエの学校で、女子生徒や教師がヒジャブの着用が禁止されると、ロシア全土で大騒ぎとなった。タタール人たちが住むモルダビア共和国の村は、この少し前まで、タタールのカリフの国と呼ばれていた。ロシア連邦金融財政モニタリング局の公式データによれば、この村を出た18人が――活動中のテロリストのリストに載っており、戦闘員としてISIL(ロシア国内で禁止されている組織)へ去っていった。3000人が暮らす村にしては大過ぎる人数だ。実際には、こうした人たちはもっと多いのではないかと言われている。

 ベロゼリエにはロシア連邦保安庁から教育委員の面々が送りこまれた。ロシア連邦教育省は、学校内でのヒジャブは容認しがたいと発言した。これに対し、イスラム教徒が多い他の地域――チェチェンから激しい反対が起きた。結果として、ヒジャブが敗北したところもあれば、取らずに済んだところもある。ロシア連邦最高裁判所は、いくつかの地区において学校内でヒジャブを身につけることを禁止したが、ヒジャブをめぐる議論が憲法裁判所(決定が全国へ適用される)へもち込まれることはなかった。

 別の地域では、かなりはっきりとした宗教色が見られる、とくに北カフカスだ。 「ダゲスタンは――非常に宗教的な地域で、さまざまな形式的な決まりがあります。いまだに酒を買うことさえできないんですよ。法で禁止されているからではなく、宗教的な行為なんです。そもそも、酒を売ることじたいが独自に禁止されているんです」とヴェルホフスキー氏は言う。

 ダゲスタンについて参照できるもっとも人気のあるサイトのひとつに――ダゲスタンでショートパンツは履けますかという書きこみがある。「マハチカラのことでいちばんはっきりと覚えているのは――私がかなり長い髪を襟の向こう側に流し、友達がショートパンツをジーンズに履き替えるまで、私たちを家から出してくれなかったお兄さんのこと」とユーザーのNightuserさんは回想している

裁判所から学校へ

 ロシアでは、信仰を持つ人の宗教心を侮辱することに関する刑法が2013年から存在している。この法は、ロックグループ「プッシー・ライオット」のメンバーがモスクワの救世主ハリストス大聖堂で行動を起こした後に登場した。しかし、この法ができてからも、毎年1、2件は事件が起きてはいるが、いまのところ実際に自由剥奪を宣告されたケースは一件もない。例えば、2016年にダゲスタン出身のスポーツマン、サイド・オスマノフは執行猶予つきの判決を受けた。彼は、仏像を叩き、小便をかけた上に、その様子を動画に撮ってネットで公開したのだ。

  “宗教的”な偶像に反対する人たちのあいだでは、次のような主張が多い:「信仰をもたない人の気持ちを守ってくれる法はどこにあるんだ?」。全権委員とマスコミでの長きにわたる闘いを経て、ロシアの学校に「宗教文化と非宗教と非宗教倫理の基礎」という必修課目が登場すると、教会が無理強いする宗教プロパガンダだと受け止められた。すると今度は教会側が、この課目はもっぱら知識を身につける性質のもので、多様な宗教文化を学ぶことを前提としていると主張する。

 「われわれはどこにも介入していない」――これがロシア正教会の公式な立場だ。「ロシアの教会は国家とは分離しているし、国家は教会の問題に[教会が国家の問題に介入しないのと同様に]なにも介入していない」と、キリル総主教は一度ならず述べている

 しかし、教会がこうした学校の授業をいかに長く行ったとしても、それは表面的な影響にすぎないと、ヴェルホフスキーは考えている。「実のところ、普通の学校の教師たちは、正教文化の授業をしている者もいれば、世界の宗教について教えている者もいます。教会が教師たちを管理することはできません」。さらに、この影響は、現実にはロシアの平均的な地域においてはまったく感じられない、とヴェルホフスキーは言う。「行き過ぎはあります。でも、それは結局のところ、行き過ぎたことのままなのです」。

 この件に関してロシア大統領側は常に同じ立場をとっている:「ロシアは非宗教国家だ、これまでもそうだし、これからもそうだ」と、毎年行われる「ダイレクト・ライン」の対話でウラジーミル・プーチンは述べている