「もし私がロシア人女性だったら、レズビアンになっていただろう」。ラガーフェルド氏は2012年にロシアを訪問した後、フランスの新聞「メトロ紙」にこう打ち明けている。
「ロシアの男とはとても醜い。ナオミ・キャンベルの彼氏(当時、彼女はロシア人実業家ヴラジスラフ・ドローニンと交際していた)のように、ハンサムも中にはいるが、ロシアで見かけるのは、最高に美しい女性と最高に醜い男だ」と。
ラガーフェルド氏は写真家としてロシア版ヴォーグと共作した。前編集長であったアリョーナ・ドレツカヤは自分の回想録の中で、一章すべてを費やしてラガーフェルドについて綴っている。彼らの親交は偶然始まった。
彼女は、彼の周囲の人なら誰もが知っていた「ラガーフェルドはスキンシップが嫌いだ」ということを知らずに、彼にハグをしたのだ。
ドレツカヤはラジオ局「ガヴァリット・モスクワ」とのインタビューの中でこの歴史に残るデザイナーを偲んでいる。彼女は、「ラガーフェルドはファッション業界の中で最も素晴らしい人であったと同時に、極めて奇特な人であった」と振り返る。
「ファッションの世界で彼ほど、マナーが良く、教養があって、内面が素晴らしい人はいない。彼は本当に心が広い人でした」。
2009年に、ラガーフェルド氏はモスクワの劇場で催されたシャネルのファッションショー「パリ―モスクワ」に個人的に参加した。コレクションは、ロシア帝国の宮殿の豪華さ、国家や民族の象徴、ボリシェヴィキの美である赤など、ロシア的なシンボルが反映されたものであった。
2010年にラガーフェルド氏はロシアの首都を再び訪れ、自身が撮影したピレーリの2011年のカレンダーのプレゼンテーションを行った。しかし彼は、狂ったような運転と果てしない交通渋滞のせいでモスクワをあまり好きになれなかったようだ。しかし冬のモスクワはとても美しいと付け加え、中国や日本に比べれば、自分が外国人だとあまり感じない場所であると語った。
「街にはパリと同じ店があり、クレムリンを除けば、建築もほぼ同じようなもの。しかも我々はナポレオンの時代からモスクワを知っており、そう遠いところではない」。2011年のヴォーグ誌でのインタビューでラガーフェルド氏はこう話している。