「自分の身体」ではない人々:ロシアのトランスジェンダーの人々はどのように生きているか

ライフ
エカテリーナ・シネリシチコワ
 10年ほど前まで、ロシアのトランスジェンダーの人々は「見えざる」集団だった。彼らが何人いるのか、彼らがどのように生き、何を求めているのか、誰も知らなかった。トランスジェンダーの人々も、敢えて自分たちの独自性を公表したり、団結したりしようとしていなかった。しかし最近は彼らが巻き込まれるスキャンダルが目立つようになった。自分たちのロシアでの生活をどう思っているか、トランスジェンダーの2人がロシア・ビヨンドに話してくれた。

 18歳のイワンさんが家族とともに村から出たとき、彼は自分と同じような人々に出会うちょっとした機会を得た。彼らがどういう人々なのか、彼は知らなかった。子供時代ずっと、違和感を感じながら生きてきた。なお悪いことに、違和感の正体が分からなかった。

 彼の家族はモンゴル国境にほど近い小さな街チタ(モスクワから6300キロメートル)に引っ越した。19歳でイワンさんは自分がゲイだと判断した。彼は男性が好きで、女性はと言うと、服や化粧、繊細さ、柔和さといった「女性的な世界」を除いては興味がなかった。彼はこの街のLGBTコミュニティーを知った。定例のLGBTパーティーの後、彼は初めて自身の性自認について尋ねられた。彼は途方に暮れ、家に帰り、ユーチューブを見た。

 それから間もなく、イワンさんは親許を離れた。23歳で女性になるためのホルモン治療を受けた。彼は一度自殺未遂と精神科での治療を経験している。現在24歳、彼の状況を知る人は姉しかいない。「両親も察しが付いていると思います。問い質されたことはありませんが」と色白で面長のイワンさんは話す。かつらを着け易いよう、髪は短く刈られている。

  彼の身体はすでに変わり始めている。両親を訪ねる際はダッフルバッグを背負って行く。親にずっと気付かれないことを望んでいる。「私は親がどういう人たちか知っています。私を勘当するでしょう。彼らを失いたくはありません。望むのは現状維持です」と言いつつ、イワンさんは自身の「消滅計画」について話し出した。別の街へ行き、手術を受け、名前を変え、新しい生活を始める。彼にとっては打ち明けるより消えたほうがましなのだ。このために必要な唯一のものは、お金だ。そして彼も確信しているように、彼の人生に起きたことには「何も新しいことはない」。ロシアの小さな街に住んでいれば誰の身の回りにも起き得ることであり、「身体に裏切られ、身体が自分のものでないことは嫌というほど分かっている」。

純粋に生物学的に

 「実のところ、私は何かにつけて上手くいきません。同時に多くのことも乗り切ってきましたが。でも自分の身体で生きていないなんて、母親や周囲の人にどう説明します? そもそも説明できますか?」と話すのは22歳のビクトリアさん。戸籍上は彼女は男性(本名は明かさなかった)で、身体もそのままだ。ビクトリアさんはまだ性適合手術を受けていない。だが彼女の箪笥にはもう4年もジーンズさえない。「ジーンズは両性共通だから」と彼女は言う。あるのはワンピースとスカートだけだ。

  ビクトリアさんは人口46万人(チタより少し多い)のカリーニングラード市に住んでいる。より恵まれているのは、モスクワやサンクトペテルブルグの住人だと考えられている。二大都市にはコミュニティーやパーティーがあるにはあるが、やはり生きづらい。ビクトリアには友達がいて、家族とも連絡があり、男性との関係が長く続いたこともあった。唯一彼女が自分の身体にしたことと言えば、胸を大きくしたことだけだ。といっても、ある時胸が勝手に大きくなりだしたのだが。そしてここにビクトリアと他のトランスジェンダーの人々との大きな違いがある。彼女自身もそう考えているように、もしかしたらここに彼女の「運の良さ」があるのかもしれない。

  「14歳の時にはもう、自分が女で、それ以外の生き方はできないし、したくないし、しないということをはっきり自覚しました。でも身体的にも他人と違ったんです。同級生の男子が声変わりして喉仏が出始める一方で、私には何も起きませんでした。」

 「父親は私たちと暮らしたことがなく、話すこともありませんでした。母は私を“正常な男”にする試みをやめませんでした。テコンドーやボクシングのような“男の”習い事に行かされました。髪を刈り上げるために散髪屋に連れて行かれました。16歳まで服もすべて買い与えられていました。もちろん男物の服です。母は『学校でいじめられるよ』と言ったものです。そして彼女は正しかった。でも私は機会があるごとに『お母さん、私を見て』と言いました」とビクトリアさんは話す。

  医者によれば、彼女の身体は男性ホルモンより女性ホルモンのほうが多く分泌されているらしく、したがって彼女はホルモン調整が不要だ。そんなわけで、短大卒業後に男物の服を処分し、女物の服装に変えた。

  「私は社会によく溶け込んでいます。ホルモン治療を受けていないからです。精神も異常はありません。他の人たちは発作があったりしますが。彼らは皆、自殺候補者です。錠剤を袋単位で飲んでいます。だから気も狂ってしまいますよ」と彼女は言う。しかしトランスジェンダーの人々の気が狂ってしまうのは他にも理由がある。自分が権利の制限された「見えざる」グループの一員だということを思い知るからだ。

 「私は白いカラスのようなものです。友達はいません。交際もありません」とイワンさん。「誰も私の人生を楽にしようとはしてくれません。」

 「ペスト」か美か

 ロシアはWHO(世界保健機構)の分類に従っている。2018年まで、WHOはトランスジェンダー(正式には「トランスセクシュアリズム」)を精神障害とし、精神分裂症と付記していた。WHOの最新の改定では、トランスセクシュアリズムが規範の一部と認められた。だが負の連鎖を止めることはできていない。

  性別の変更は、医療委員会の承認があって初めて可能となる。委員会のメンバーは精神科医、性科学者、精神科医だ。委員会に掛かるには、一定の観察期間が必要だ。手続きには8ヶ月から2年ほどかかる。もし自分がトランスジェンダーであることを十分な説得力をもって表明できなければ、委員会は手術を認めない。しかし、手術なしにはパスポート(身分証明書)、性別、名前を変更できない。ところが、トランスジェンダーの人々の中には、快適さを得るのに外科手術を必要としない人もいる。

  このために行き過ぎた行為が起きることがある。トランスジェンダーの女性を男子更生施設に入れようとする出来事もあった(身分証明書に男性と書かれているため)。女性の写真と男性の名前、性別(あるいは反対に男性の写真と女性の名前)が載った身分証明書を、病院、税関、旅行先、就職活動で提示しなければならない。就活は特に難関だ。

  「私はウェイトレス、店員、家政婦として、またはクラブ業界で就職しようとしました。すべて上手く行くんです、必要書類を出すまでは。書類を出せばすべてが変わります。『他の人を見つけたんで』とか『また連絡します』とか言われれば、まだましなほうです。時には『あなた男でしょう、なんで自分をいじめるんです。なんで社会を壊すんです。なんでそんな格好をするんです』と言われもしました。私はメイクアップアーティストとして在宅で働きました。今は無職です」とビクトリアさんは言う。彼女は就職を拒まれるのは風評のリスクのためだと考えている。「世の中は寛大ではありません。彼らは私たちみたいな人がそばにいるのが不快なのです。皆世間の風評に苦しんでいます。」

 イワンさんは地元の美容院でスタイリストとして働いている。彼は、美容業界だけがトランスジェンダーの人々に門戸が閉ざされていない唯一の分野だと言う。しかしこれで性転換手術に必要なお金は稼げない。「膣形成術だけでも50万ルーブル(8000ドル)以上します。」 彼によれば、性風俗業に向かわざるを得ない人も多いという。「これは、ペストみたいなものですよ。」

  「理解はできます。仕事がない、お金がない、家族はいない、失うものはない。彼らは手術を夢見て貯金をします。ただ、手術が済んだら誰にも必要とされなくなり、必要とされたとしても、もはやモノ扱いだということを、彼らはどうしても理解できないのです。」

  自分の身体ではない

  ビクトリアに男性の恋人ができたとき、1ヶ月彼女は自分がどういう人間かを黙っていた。恋人も疑わなかった。「私は言わなくてはいけませんでした。身体的な関係はまだ持っていなかったので。私は適合手術すら受けていないんです」とビクトリアは話す。彼女は打ち明けた。男性は我を失った。彼は長い間怒鳴った。彼女に対してではなく、かといって、どこにというわけでもなく。「心が苦しかったのでしょう。彼の精神状態は、彼が自分自身をどうにかしてしまうんじゃないかと怖くなるくらいのものでした」と彼女は振り返る。男性はショックから立ち直った。彼らの関係はそれから1年半続いた。

 トランスジェンダーの人々にとって一番厄介なのは、“矛盾した”書類ではない。

 今年の5月、マスコミである話が大きく取り上げられた。ロシア人のユリア・サヴィノフスキフさんは、マステクトミー(乳房切除術)を受けた後、裁判所の決定で2人の養子を取り上げられた。彼女は性適合手術に向けて準備する様子をブログで発信していた。7月にフェイスブックのユーザーらが#трансфобиянепройдет(トランスフォビアは許さない)という運動を始めた。この運動はトランスジェンダーの少女を「怪物」と呼んでクラブに入れなかったという出来事をきっかけに生まれた。

  一番厄介なのは、小さな子供でさえ駆け寄ってきて「ホモ」と罵り、そのことを誰も咎めないような社会の現状だ、とイワンさんは言う。ビクトリアさんも同意する。彼女にとって「社会」とは、皆に心を踏みにじられ、スカートの下に潜り込まれ、頭の中まで侵され、モラルとは何かを説教される場所だ。「この状況で私がどう思うか、訊いてみてください」と彼女は言い、即座に自分で答えた。

  「この理屈が分かりません。妻を殴るような虐待を繰り返す人がいて、人殺しもいます。彼らに対してはそのくらい厳しい態度を取って当然でしょう。ですが、私たちはどうして彼ら以下なんでしょう。私たちは皆さんに何か悪いことをしましたか。人はこんなこと馬鹿げていると思うでしょう。まるで私たちが自分に暗示をかけて苦しんでいるかのように。じゃあこれ以外の生き方は無理だと、どうやって人に説明したら良いんです。自分の身体じゃないから、生まれた身体では生きられない。選択肢がないんです。」