クレムリンの大統領就任式:エリツィンからプーチンまで

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アレクセイ・ティモフェイチェフ
 モスクワのクレムリンでは、大統領就任式の準備が行われている。現職大統領のウラジーミル・プーチンが5月7日、これで4回目となる就任式の舞台に臨むことになる。現代ロシアでは、7度目のイベントだ。第1回は、まだソ連時代だった1991年に行われている。

 1991年7月10日、ボリス・エリツィンはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の大統領に就任する宣誓を行った。これが、この種の就任式の第1回目だった(ソ連の指導者はこのようなセレモニーを行わなかった)。その際エリツィンは、 右手を憲法ではなく、自分の心臓に置いた(後には憲法に右手を置くのが慣習となったが)。憲法はただそこに置かれていただけだった。

 

 脱皮しつつあったロシア共和国にはいまだ「鎌と槌」のソビエト国旗があった。当時はまだ、ミハイル・ゴルバチョフ大統領が元首を務めるソ連が存在していた。彼は、政治的ライバルのエリツィンを祝福し、連邦を守るよう求めた。 7月から12月のソ連崩壊まで、両大統領は官邸としてクレムリンを共有した。

 

 1996年の就任式は当初、クレムリンの広場を会場として、背景に歌と鐘が響くはずだったが、カットされたと言われている。エリツィンの再選を象徴するイベントは、彼の健康状態の悪化により短縮された。彼は新しい大統領の象徴を身につけ、周囲に示した。長さ1mの金鎖にロシアの国章と黄金の十字架がついているという、きらびやかなものだ。

 

 2000年の就任式で、エリツィンの後継者、ウラジーミル・プーチンは、派手なジュエリーを身につけたいとは思わなかった。しかしそのシンボルのほか、大統領旗と憲法の特別なコピーが、1996年の就任式に正式に組み込まれたので、プーチンはそれらを用いざるを得なかった。「ロシアをよろしく頼む」と、老いたエリツィンは後継者に言った。

 

 2004年のプーチン大統領の再選後の式典は、前回の半分の時間、わずか25分で終わった。ロシアの当局者によると、1700人が大クレムリン宮殿に招待された。

 

 2008年、ドミトリー・メドベージェフ首相が大統領に就任した。プーチンはエリツィンの言葉を想起させ、ロシアに尽くすことが国民としての最大の義務であると述べた。その後で、プーチンはメドベージェフに権力を委ねた。

 

 プーチンは2012年の大統領選挙でクレムリンに復帰した。それに先立って、2011年末の下院選をきっかけに大規模な抗議行動が行われていた。しかし、プーチンが2012年5月7日のクレムリンでの就任式に向かったとき、路上にそうした人波はなかった。

 

 就任式は、ロシア帝国最高の勲章「聖アンドレイ勲章」にちなんだ、大クレムリン宮殿の「聖アンドレイの間」で行われる。この大ホールはソ連時代にリフォームされたが、1993年にエリツィンの要請により元の壮麗さを取り戻していた。帝政時代には、このホールは戴冠式などの厳粛な行事に使われた。