冬に川で洗濯をしていると、両手が赤くなり麻痺してくる。同時に、家では幼い子が泣いている。もう歩けるようになった他の3人の子たちが、あらゆる手を使って逃げ出そうとしている。この子たちに昼食を食べさせればよいのだけど、それにはまず食器を洗い、かまどに火を起こし、それから調理を始めないといけない。
いえ、これは大家族の母親のよくある一日の話ではない。100年前のロシアの農村に暮らす10歳の少女の単調な生活のなのだ。当時、児童労働は搾取とはみなされておらず、10歳はもはや子ども時代ではなかった。
今日の私たちにすれば、生き延びるための道を探しているのだろうかと思えるようなことが、当時は標準的な日々の仕事だったのだ。
森で道を見つける
今日私たちは、こんな場所に(たとえGPSを装着していても)子どもを一人で行かせることはしないが、かつては普通のことだった。深い森は、人々に命の糧を提供してくれるからだ。ベリーやキノコ、ハーブ、薪を集めるために子どもが森に行かされた。子どもたちは、森や野原をすばやく移動する方法を身につけなければならなかった。
牛や山羊の乳を搾る
鶏の世話から徐々に始まり、10歳頃になると、女の子は牛や山羊を扱うのに「十分な歳」となる。少女は、乳を搾り、それから、牛や山羊を牧草地に送る。このために、朝は5時に起きなければならなかった。でも、家畜については、彼女がやるべきことはだいたいこれだけ。糞尿の掃除、家畜の洗浄と放牧などは男の子の仕事だった。
バターの撹拌
今日ではミキサーを使えば、10〜15分ほどで済む作業だが、当時は約3時間もかかった。最初から最後まで木のスプーン一本でバターを撹拌する作業は、肉体的にも耐えがたい苦しいものだったため、家族の女たちが大人も子どもも総出で交代しながらやっていたのだ。
川で洗濯
夏に川の中で水をはねかすのは誰でも大好きだ。仮に服を洗わなければならないとしても、これはすごく楽しい。しかし、冬となると話は別だ。しかも、一年のうちの半年は寒さに覆われているのだから。哀れな少女たちは、家族の汚れた衣服を洗濯しに行かされ、赤く腫れた手でそれを干さなければいけなかった。楽しいわけがない。
魚の餌
スカートをはいたこの万能な兵士が習得すべきもうひとつのスキルは、魚釣りの餌となる虫を掘って探すことだ。
機織り
女の子は結婚の持参金を自分で集める(つまり、稼ぐ)べきだと思われており、十歳頃からこの準備を始めていた。結婚までに、素晴らしい持参金を用意できるチャンスを手にできれば、それによって、花嫁としての地位は高くなり、良い結婚が望めた。
衣服、タオル、テーブルクロスなどの生地はすべて手作業で製作されていた。7歳頃までには、上手に亜麻を梳き、そこから糸を紡ぎ、それを白樺の糸巻きに巻きつけられるようになった。10歳頃までには、機織り機を使って帯や刺繍タオルを作ることができるようになった。原則として、冬の間の畑仕事がない時には、家族内の女性全員がこの作業をしていた。
子どもたちの世話
はっきりと言えることは、昔は、子どもの頃から親になる準備が行われていたということだ。幼い子どもの面倒を見るのは、たとえわずかしか歳の差がなかったとしても、年長のきょうだいの肩にかかっていたからだ。例えば、大人たちが皆、畑で働いている時には、誰かが子どもを見る必要があった。多くの家庭では、10歳の女の子がロジョーク(牛や羊の角で作った自家製のボトル)を使って赤ちゃんにお乳を飲ませ、噛んで柔らかくしたパンや小さな布切れでおしゃぶりを作ってあげていた。少女たちは、他の家へ子守に行くこともあった。
床掃除、床磨き、長椅子の洗浄、敷物を振る
家の中をきれいにしておくことも非常に重要だった。少女たちは、かなり幼いうちから、席を立った後はきれいにするよう教えられていた。ベッドを整えること、シーツを振ってきれいにすること、床を掃除すること、長椅子をきれいに洗うこと...を。