ソビエト文化には、「レニニアーナ」と呼ばれる、芸術上の路線があった。これは、さまざまな芸術作品を含み、その主人公は、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンだ。具体的には、レーニンにまつわる絵画、ポスター、イラスト、彫刻、記念碑などだ(これらは今でもロシアの多くの都市に残っている)。
そして、「クリスマスツリー上のレーニン」をテーマにした、一連のポスターと絵葉書が制作された。
1918年、ボリシェヴィキ政権は、宗教的祝日としてのクリスマス(降誕祭)を廃した。これに続き、クリスマスツリーを飾る「ブルジョワ的な伝統」も禁じた(それが復活したのは、1935年のスターリン体制下でのことだ)。
しかし、親切な「レーニンおじいさん」が、子供たちに贈り物を与えずに放っておくわけがない。革命の指導者の神話化は、新年のテーマにおいても始まった。
ボリシェヴィキの作家、ウラジーミル・ボンチ=ブルエヴィチの回想によると、内戦真っ只中の1919年、人々が寒さと飢えに苛まれていた年に、レーニンは、子供たちに祝日を与えるよう命じたという。
「どこからでもいいので蜜菓子、キャンディー、パン、クラッカー、おもちゃなどを手に入れてきてほしい。そして明日の夜、学校にいるナージャ(*ナジェージダ・クループスカヤ、レーニンの妻)のところへ行こう。子供たちのためにパーティーを開こう。そのためのお金はここにある」
この作家の記述によると、レーニンは、子供たちと遊び、クリスマスツリーの周りで踊り、お菓子をご馳走し、いっしょにお茶を飲んだという。「ウラジーミル・イリイチは子供たちをとても愛しており、彼らもそれを感じていた」
ボンチ=ブルエヴィチの回想を文学的に「リメイク」したのが、アレクサンドル・コノノフの著書『ソコリニキのクリスマスツリー』だ。こうした作品のイラストから「クリスマスツリー上のレーニン」なるテーマが生まれた。
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