首都モスクワの地下鉄の88年にわたる歴史のなかで、この地下鉄が乗客を乗せなかったのは1度だけだ。これは1941年10月16日の朝に起きた。
その直接の理由は、10月上旬、ヴャジマ近郊での戦いで赤軍が惨敗したことだった。この大敗の結果、ドイツ軍は、事実上無防備となったモスクワに迫った。
1941年10月15日、ソ連国家防衛委員会は、決議「ソ連の首都モスクワからの疎開について」を採択した。疎開の対象外の企業や倉庫、施設は破壊されることになっていた。首都の地下鉄にも悲しい運命が待っていた。
「地下鉄を閉鎖せよ。3時間以内に破壊の計画を策定し、あらゆる方法を用いて施設を破壊すること」。これが運輸人民委員(大臣)ラーザリ・カガノーヴィチの命令だった。10月16日夜、エスカレーターや設備の解体作業が始まり、地下鉄施設では地雷が敷設され、一部の地区では浸水の準備がなされた。
しかし、破壊を実行に移す暇はなかった。国家防衛委員会が地下鉄破壊の決定を見直し、カガノーヴィチの命令を取り消したからだ。その結果、労働者たちは、すでに破壊した部分を速やかに復旧させなければならなかった。
10月16日午後2時にはもう地下鉄の1路線に電流が流され、夕方7時にはモスクワ地下鉄の運行は完全復旧した。