実現されなかった「もっとも高い」モスクワのスターリン建築

歴史
ロシア・ビヨンド
 有名な7つのスターリン様式の高層建築以外に、モスクワにはもう一つ、もっとも高いスターリン建築が作られることになっていた。しかしそれは結局、実現しなかった・・・。

 8つ目となるはずだったスターリン様式の高層建築は、クレムリンの壁のそばにあるザリャージエにモスクワの創建800年記念祭に合わせて建てられることになっていた。そして、中世のモスクワの地区を撤去し、建設作業も開始された。

 ビルは最初、行政の建物になるはずであった。しかしその建物の高さは、設計案が改められるたびに高くなっていった。元々は26階建ての予定であったが、最終的な設計案では37階建てにまで「伸びて」いた。

 そして設計案が書き直されるたびに、建設費用も変更されていった。他でもないそれが理由で、結果的にこの高層建築は実現されなかったのである。設計士たちは、タイミングよく、この壮大な建築物の予算を提出することができなかった。完成時期はどんどんと延期され、数年が経過した。 

 そして最終的な費用がまとめられたとき、このプロジェクトの推進者であったスターリンが死去したのである。1953年、スターリンの死後に最終的な予算が政府に提出されたときには、こうした建築物は「あまりにも華美である」として、政府はプロジェクトを「却下」したのである。

 建設は開始されたが、基礎と14階建ての骨組みから建設が進むことはなかった。スターリン建築に反対していたニキータ・フルシチョフが最終的に「中止」を決めたからである。 その後、骨組みは解体され、基礎の上にはホテル「ロシア」が建てられた。

 1990年代に経済危機の影響は免れず、ホテルは赤字となり、閉鎖された。それから数年間、政府は修復のための資金集めを試みたが、うまくいかず、最終的には撤去された。2017年に、ホテルが解体された場所にザリャージエ公園が作られた。 

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