ロシアのすべての国名:古代から現代にいたるまで(インフォグラフィックス)

Natalia Nosova (Photo: State Hermitage Museum)
 古代から現代にいたるロシアのすべての国名を挙げてみよう。

1. 古代ルーシ(Древняя Русь

 911年にオリガ大公妃がビザンツ帝国(東ローマ帝国)と結んだ条約では「ルーシ」と呼ばれている。  

2. 公領のルーシ(Удельная Русь

 「公領のルーシ」は、封建的な群雄割拠の時代で、ルーシは、複数の独立した公国に分裂していた。12世紀半ばには、その数は13に達した(数え方により15~18)。

3.  ロシア国、モスクワ・ツァーリ国家(モスコヴィア)Русское государствоМосковское царство Московия〉)

 *モスクワ・ツァーリ国家は日本では「ロシア・ツァーリ国」と呼ばれることが比較的多い。 

 ロシア各地を統一して単一のロシア国家とする事業は、モスクワ大公のイワン 3 世(大帝)によって始まる。中央集権化は、ルーシにおけるモンゴル・タタールの「くびき」に終止符を打つのに役立った。1547 年、イワン 3 世の孫であるイワン4 世(雷帝)が、ツァーリとして初めて戴冠し、全ルーシの初代ツァーリとなった。

4. ロシア帝国(Российская империя

 帝国への変革は、ピョートル大帝のもとで行われた。1721年、大北方戦争での勝利とバルト海の覇権獲得に関連して、彼は、「全ロシアの皇帝」の称号を得た。 

5. ロシア共和国(Российская республика

 *ペトログラードはサンクトペテルブルグの旧称である。

 1917年の2月革命と帝政打倒の後、短期間、権力は臨時政府に移り、同政府はロシアを共和制と宣言した。しかし、1917年10月、ボリシェヴィキと社会革命党(エス・エル)によって打倒される。

6. ソビエト社会主義連邦ロシア共和国Российская Социалистическая Федеративная Советская Республика

 1917 年 10 月から 1918 年 7 月まで、新国家は、正式にはかなり未整備な状態だった。「ソビエト社会主義連邦ロシア共和国」の国名が、ようやく1918年7月にペトログラードで採択された憲法に記された。

7. ロシア国(Российское государство

 ボリシェヴィキの敵対勢力は、ロシアにおけるソビエト政権を認めなかった。反ボリシェヴィキまたは白軍の指導者は、ロシア最高執政官と呼ばれ、アレクサンドル・コルチャークが選出された。1920年に銃殺されるまで、その地位にあった。白軍は1922年に敗北する。

8. ソビエト社会主義共和国連邦Союз Советских Социалистических Республик СССР

 ソ連は1922年に、国の全土にソビエト政権が樹立された後に、形成された。すなわち、1922年12月30日に、ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の4つのソビエト共和国が、単一国家のソビエト社会主義共和国連邦に統合された。

 政治権力機関は、首都モスクワに統一されていた。また、各連邦共和国は、連邦から自由に脱退する権利が法的には保持されていた。 ソ連崩壊の当時、15の共和国があった。 

9. ロシア連邦(Российская Федерация

 1991 年 12 月 25 日、ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国(略称はРСФСР)の最高会議は、法律を採択し、同国の国名を以後、「ロシア連邦」(ロシア)とすることを決定した。しかし、翌1992 年になっても、旧国名は、まだ公式文書やレターヘッドで使うことが許容されていた。

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