ロシア皇帝アレクサンドル1世(1777~1825年)は、宿敵ナポレオン・ボナパルトと、政治・経済から個人的怨恨にいたるまで、長期にわたりさまざまな問題を抱えていた。たとえば、ナポレオンは、アレクサンドルの二人の妹に求婚したが、素っ気なく拒否された。一方、アレクサンドルがナポレオンの妻、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763~1814年。1810年にナポレオンに離婚された)と恋愛関係にあったという噂がある。情事はともかく、少なくともいっしょに大がかりな政治的陰謀を目論んでいたというのだが、本当か?
大物たちとの情事?
アレクサンドルとジョゼフィーヌは、1814年に初めて会った。当時、彼女はすでにナポレオンと離婚していた。1808年には、ナポレオンには、彼女が後継ぎを産まないだろうことが分かっていた。そして、1810年に二人は離婚。
ナポレオンは、神聖ローマ皇帝フランツ2世の娘、マリア・ルイーザと結婚し、息子をもうけたが、ジョゼフィーヌは、フランス皇后の称号を保つことを許され、ナポレオンとの関係、親愛の情は絶たれなかった。
それは1814年4月のことだった。ロシア軍は、いわゆる「諸国民の戦い」でナポレオンに勝利して、パリに入城。ナポレオンは、エルバ島に流された。4月6日、ブルボン家による王政が、フランスで正式に復活する。しかし、国王ルイ18世は、立憲君主制により統治するという公約に署名した後でようやく、アレクサンドル1世によって、パリに入ることを許可された。
1814年4月16日、アレクサンドルは、ジョゼフィーヌが住んでいたパリ近郊のマルメゾン城に赴いた。「私はもっと早くあなたのところへ来たかったのですが」と皇帝は冗談を言った。「しかし、あなたの兵士の勇敢さのせいで遅れました」。マルメゾン城に着くとアレクサンドルは、ジョゼフィーヌの「貧しい暮らしぶり」(元皇后としては、だが)にショックを受けたという。
アレクサンドルは、ジョゼフィーヌの娘オルタンス(当時31歳)や孫にも会い、彼女たちの家族を守り助けるように、臣下に命じた。しかし、アレクサンドルとジョゼフィーヌが交換した高価な贈り物から判断すると、二人の会見の背後にはもっと重要なことがあったかもしれない。
高価な贈り物
ジョゼフィーヌはアレクサンドルに、彼女のコレクションのなかから有名な宝物「ゴンザーガ・カメオ」を贈った。これは、プトレマイオス2世とその妻アルシノエの肖像を刻んだヘレニズム時代の傑作。インド産のサードニックス(石英グループの変種)の3つの層をうまく利用して加工しており、制作年代は、紀元前3世紀に遡ると考えられている。
一方、アレクサンドルは彼女に、真に王室にふさわしい贈り物、つまり11個のダイヤモンドが付いたネックレスを贈った。
ロシア皇帝は頻繁にマルメゾンにやって来て、ジョゼフィーヌと長時間散歩したり会話したりした。これは、パリ政界の疑惑を呼んだ。宮廷で大いに歓待されたであろうアレクサンドルが、なぜか元皇后といっしょに過ごすほうを好んだからだ。彼女はまだ、フランス国民の目には、ナポレオンを体現して見えた。ちなみに、彼女は、ナポレオンとともにエルバ島に行きたいと希望したが、連合国から禁じられている。
5月25日、ジョゼフィーヌは、突然、非常に気分が悪くなり、4日後、51歳の誕生日のちょうど1か月前に亡くなった。彼女は、アレクサンドルとの散歩中に風邪を引いたと噂された。その年の5月はまだそんなに暖かくなっていなかったのに、彼女は、彼へのアピールをねらって、夏のドレスを着ていたと言われている。
ただし、この話には別の側面もある。フランス外相で後に首相となった老かいなシャルル=モーリス・ド・タレーランは、二人の関係に大いに関心を抱いていた。なぜなら、それが結局、ルイ18世を失脚させ、ナポレオンの息子、3歳のナポレオンが玉座にのぼり、母親のマリア・ルイーザが摂政を務めることにつながるのでは、と懸念したからだ。
周知の通り、アレクサンドル1世は、ルイ18世を嫌い、彼の即位を望まなかった。だから、アレクサンドルが頻繁にマルメゾンを訪れたことには隠れた目的があったのでは、と勘ぐるのは自然な成り行きだった。ナポレオン自身も、アレクサンドルを「本物のビザンチン」と評し、その捉えどころのなさをあてこすっている。
こんな状況だったので、ジョゼフィーヌはタレーランの刺客に毒殺されたのかも、という噂が流れた。彼女がアレクサンドルの意を受けてその「代理人」になるのを防ぐためというわけだ。
だから、彼女の死因は、散歩中の寒さではなく、何か他のものだったのかもしれない。ジョゼフィーヌが亡くなった後、アレクサンドルは、子供たちから彼女のアートコレクションを購入している。
アレクサンドルが彼女に送ったダイヤモンドは、息子ウジェーヌ(ナポレオンのもとでイタリア副王、当時はロイヒテンベルク公)に受け継がれた。後に、金細工師ファベルジェがウジェーヌの子孫のために、いわゆる「ロイヒテンベルク・ティアラ」を制作した際に、ダイヤはその一部となった。ティアラはまだ完全な形で現存している。2007年にアメリカのアートコレクターによって購入され、現在、ヒューストン自然科学博物館に展示されている。
一方、「ゴンザーガ・カメオ」は、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館のコレクションに入っている。