パパーハ:なぜコーカサスの男性は皆このふさふさの帽子をかぶっているのか

パパーハをかぶっているハビブ・ヌルマゴメドフ

パパーハをかぶっているハビブ・ヌルマゴメドフ

Mike Roach/Zuffa LLC/Getty Images
 本物のジギート(馬乗りの名手)にとって、これは単なる帽子ではなく、名誉と尊厳の印だ。

 パパーハとチェルケスカ(襟がなく裾の長いコート)、胸のガズィリ(弾薬入れ)――これらなしに真のコーカサスのジギートを思い浮かべることはできない。

 「もし頭が無事なら、その上にパパーハがなければならない」、「男は2つの物を大事にしなければならない。パパーハと名前だ」。コーカサスにはパパーハにまつわる諺がたくさんある。この帽子は、単なる伝統衣装の一部ではなく、真の象徴であり、沽券に関わる物だ。高価なパパーハはこの地域では最高の贈り物だ。

 コーカサスの男性は屋内でもパパーハを取らない。頭からパパーハを叩き落とすことは侮辱であり、もし帽子をかぶっている者が亡くなれば、息子以外は誰もそれをかぶる資格を持たない。

 パパーハが世界的に知られるようになったのは、元UFC王者の格闘家ハビブ・ヌルマゴメドフのおかげだ。ダゲスタンの父祖の伝統を重んじるヌルマゴメドフは、すべての試合と体重測定にこれをかぶって登場していた。

格闘家ハビブ・ヌルマゴメドフ

 「ハビブの白いパパーハ」は事実上ブランドになり、インターネットでは「ハビブと同じパパーハを買う」という検索ワードが人気だ。彼のファンの多くが彼を応援するためにパパーハをかぶっていた。 

 ハビブの帽子はパパーハの一種にすぎない。羊毛だけでなくヤギの毛からも作られる。最も高級と考えられているのはカラクル羊の毛で作ったものだ。写真はパパーハをかぶったチェチェン共和国首長ラムザン・カディロフ。 

チェチェン共和国首長ラムザン・カディロフ

 パパーハの形もさまざまだ。上に向かって広がる半円状のものや、底が平たい布地でできているものなどがある。 

 パパーハを作れるのは男性だけだ。毛皮を何度かよく洗い、天日干しし、毛が痛まないよう特殊な溶液と塩で仕上げる。

 一枚の毛皮から2つのパパーハができる。熟練の職人なら一日で40個作れる。羊毛のパパーハの値段は一つ500ルーブルからだ(5000ルーブルは超えないことが多い)。ヤギの毛でできたものは少し高く、800ルーブルからとなっている。

 

 今ではパパーハはコーカサスの伝統的な帽子と見なされているが、テュルク系遊牧民とともに中央アジアからコーカサスにもたらされたという説もある(「パパーハ」という語自体テュルク系の起源を持つ)。

 19世紀半ばからパパーハはロシア軍の軍服の一部となった。初めはコーカサスと中央アジアの兵士がかぶっていたが、その後コサック軍の間でも広まった(チェルケスカやブルカ(袖のない羊毛のフェルト製マント)など、コーカサスの他の衣装の多くも一緒に広まった)。

 パパーハは主にコサックやチェルケス人、その他コーカサス山岳民で構成された皇帝陛下輸送隊の近衛兵も身に付けていた(下の写真はニコライ2世と彼の輸送隊)。

 山岳民の間では帽子は防寒のためではなく名誉のためにかぶるものだったが、非常に実用的であったため、間もなくシベリアにいた軍の部隊にも採用され始めた。写真はニコライ2世時代のシベリア軍管区の将軍のパパーハ。

 1913年、パパーハはロシア軍全体の冬用の制帽になった。

 ソビエト軍もその一部を継承したが、兵士にはより安い帽子が与えられた。ラシャ製の帽子、ブジョノフカだ。ソビエト軍でも高位の将校はパパーハをかぶっていた。

 公式にパパーハが軍で廃止されたのは1992年で、代わりにウシャンカが採用された。しかし2014年に将軍や大佐の冬の帽子として戻ってきた。もちろんコサックは今でもこれをかぶっている。

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