2002年のロシアの様子(写真特集)

歴史
ロシア・ビヨンド
 激動の1990年代が終わり、プーチン政権は2年目を迎え、NATO(北大西洋条約機構)と初めて協力する試みが行われ、そしてモスクワで悲惨なテロが発生した。

 ロシアのサッカーのナショナルチームが2002年のFIFAワールドカップの試合で日本を相手に0-1で敗れた。ロシア代表チームが大会から敗退するとモスクワでは大規模暴動が起こった。この試合は、国家院議事堂の前に設置された巨大スクリーンに映されており、敗戦が決定するとサポーターたちは、マネージ広場や周辺の路上で破壊活動を行い、地下鉄でも大暴れした。

 2002年、ロシアーNATO理事会が設立された。この写真は、ウラジーミル・プーチンとNATO事務総長ジョージ ・ロバートソンがロシアと北大西洋条約機構の最初の首脳会議の後に撮られた。この会議では、彼らの共通の脅威である国際テロ組織と戦いにおいての協力関係について話し合われた。

 2002年には、ソ連崩壊後最初の国勢調査が行われた。下の写真は、国勢調査用のリストを印刷している様子。この国勢調査でロシア在住の人々はおよそ1億4500万人であることが分かった。

 2002年10月、モスクワのドブロフカ劇場でミュージカル「ノルド・オスト」を上演中に観客人質事件が起き、ロシア近代史においてもっとも悲惨な事件のひとつとなった。テロリストらはミュージカル上演中の混雑していた劇場を占拠、特殊部隊が突入するまで3日間にわたって観客を人質とした。この作戦でおよそ130人の人質が死亡した。

 2002年9月15日、モスクワのキエフ駅近くにヨーロッパ広場がつくられた。この広場の中心には、ベルギーの彫刻家オリヴィエ・ストレーベルの作品「ヨーロッパの誘拐」が置かれている。

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