ソ連はどのようにメーデーを祝ったか(写真特集)

ソ連特集
ロシア・ビヨンド
 5月1日は、ソ連にとって重要な春の祝日であった。さまざまな分野の労働者や勤労者が、パレードやデモンストレーションをし、歌を歌って、非常に盛大にこの日を祝った。ソ連時代を通じて祝われたメーデーの写真を紹介しよう。

 メーデーのデモンストレーションは実は帝政時代にも行われていた。しかしながら、革命後、労働者は優勢的な階級となったことから、パレードは公式なものとなった。1920年代、メーデー(この日はインターナショナルデーとも呼ばれた)は全国的な祝日となった。

 横断幕には、「党の主要路線を手にするための戦いに向かって前進!」と書かれている(主要路線とは集団化と産業化であった)。1935

 5月1日には、異なる職業に従事する労働者と軍人たちによる大規模なパレードが行われた。もっとも印象的で壮大なパレードはモスクワの赤の広場で行われた。1940

 音楽家、消防士、アスリートなど、ありとあらゆる職業の人々が長い行列を作り、この日を祝った。1950年代

 花や旗を持って議会のそばを行進する女性たち。1950

 並んで行進する「スターウォーズ」の登場人物のような工場労働者たち。1963

 歴史博物館から始まる壮大なパレードが、レーニン廟のそばを通り、ワシリー大聖堂に向かう。1967

 消防士たちのパレード。1970年代

 カール・マルクス、ウラジーミル・レーニン、その他のソ連のリーダーたちの肖像画を掲げたデモ。1971

 毎年59日に行われる戦勝記念日の大々的なパレードがソ連で行われるようになったのは1980年代になってからのことで、それまでは節目の年にしか実施されていなかったが、メーデーには軍人たちもパレードをした。1973

 パレードには子どもたちも参加した。そしてそれはとても誇り高いことであった。1973

 集まった人々やテレビの視聴者を驚かせようと、人々は自分たちの体を使って素晴らしい形を描き出した。一糸乱れぬ動きにするため、本番まで何週間もかけて練習をした。1975

 共産党の指導者たち、軍の司令官など、重要な地位につく人々は必ずパレードに訪れ、レーニン廟の上の演台から見学した。

 「共産主義は勝つ」。パレードでは必ず力強いイデオロギー的な文章が謳われた。1976

 バイクのパレード。1970年代

 人文字で描く「51日」。1977

 レオニード・ブレジネフの肖像画に迎えられるパレードの参加者たち。1982