ロシア帝国の勲章TOP 5

歴史
ゲオルギー・マナエフ
 ロシア帝国の勲章は、宝飾のデザインとしても驚嘆すべきもので、極めて高い地位または功業のしるしだ。皇族および最も高貴な貴族と、国家への傑出した貢献者のみが授与の対象となった。

 なぜ国家には、勲章などの褒賞の制度が必要なのだろうか?ピョートル大帝(1世)は、この問いへの答えを知っていた。彼は、ロシアのツァーリとなったとき、ヨーロッパの競争相手に追いつくために大きく飛躍しなければならぬことを理解していた。その点で、国家の褒賞制度の導入は、非常に時宜を得たアイデアだった。

 国家の褒賞、勲章のシステムによって、君主は、自分の選択により、人々を区分することができた。つまり、賞の授与により、一兵卒をより高い階級に昇進させることができるし、貴族を一段高い位置に引き上げることが可能だ。

 ピョートル大帝は1698年に、ロシア最初の勲章を導入した。ロシアの勲章はすべて、皇帝のみが授与した(女性最高の勲章であり、女帝、皇后によって女性のみに授与された聖エカテリーナ勲章はのぞく)。

 

1.「聖アンドレイ勲章」(キリストの最初の弟子アンデレにちなむ)

 この勲章は、1698年にピョートル大帝(1672~1725年)によって、イエス・キリストの最初の使徒でありロシアの守護聖人である聖アンドレイ(アンデレ)を記念して創設された。これは、ロシア初の勲章で、ピョートルが欧州旅行から帰国した直後に設けられている。宗教伝説によると、使徒アンデレは、後にキエフ公国の版図に入る土地を訪れ、この地の人々にキリスト教を説いた最初の使徒だった。

 ほぼ一世紀の間、この勲章には厳密な規定がなかった。単一の等級しかなく、軍人または文民の最も傑出した功績に対してのみ与えられた。勲章は、記章部分(エナメルを塗った黒い双頭の鷲)と銀の八芒星で構成されていた。そして、「信仰と忠誠のため」というモットーが刻まれていた。

 聖アンドレイ勲章は、特別な功業に対しては、「ダイヤモンド付き」が授与された。1797年以降は、ロシアのすべての大公(皇族)は、洗礼を受けると、この勲章を授与。また皇室の血を引く公爵も、18歳になると与えられた。この勲章の受章者は、計900〜1,100人だった。

 

2. 聖エカテリーナ勲章

 この勲章は、ロシア史上2つ目の勲章だ。ピョートル大帝が聖エカテリーナを記念して創設。聖エカテリーナは、彼の妻で後に女帝となったエカテリーナ1世(1684~1727年)の守護聖人である。

 1711年、ピョートルは、まだ婚約中であったエカテリーナを対トルコ戦に同伴した。だが、1711年のプルート川右岸の戦闘で、12~18万のトルコ軍に対し、わずか4万のロシア軍は包囲され、危機に陥る。これは、今のルーマニアとモルドバの国境にまたがる地域だ。

 エカテリーナは妊娠中であったが、勇敢に遠征の労苦を耐え、ピョートルと将軍を感嘆させた。勲章は、ピョートルとエカテリーナが結婚したその日、1714年11月24日に正式に創設。

 この勲章は女性のみが授与の対象で、2つの等級があった。大十字章(記章と星の両方)と小十字章(記章のみ)。 この勲章のモットーは「愛と祖国のために」。

 これを授与された女性は、聖アンドレイ勲章の場合と同じく、一定の金額の支払いを義務付けられた。大十字章は400ルーブル、小十字章は200ルーブルである。すべての金額は、慈善のために寄付された。

 ロシアのすべての大公女(皇族の女性)は、洗礼を受けると大十字章を授与。また、ロマノフ家の男性との婚姻で皇族となった女性も、これを与えられた。皇族の血筋の公爵令嬢は、18歳で授与された。聖エカテリーナ勲章は、計734人の女性に与えられている。

 

3. 聖ゲオルギー勲章

 聖ゲオルギー勲章は、ロシア帝国の最高の軍事勲章だった。エカテリーナ2世(1729~1796年)によって1769年に設けられ、個人が戦場であげた武勲を顕彰することのみを目的としていた。この勲章は規定によると、「単に義務を果たしたにとどまらず…抜群の勇気ある行動を示した者に授与される。この勲章は常に佩用すべきである」

 聖ゲオルギー勲章は、4つの等級に分かれ、勲一等が最高位。記章は、十字架、星、リボンで構成されている。十字は、白いエナメルを塗った「クロスパティー」(十字の紋章のうち、アームの幅が真ん中は細く、末広がりになるもの)であり、中央のメダリオンには聖ゲオルギーが描かれている。星は四角で銀色。「SG」の文字が中央にあり、黒いエナメルの帯で囲まれ、そこに勲章のモットー「奉仕と勇気のために」が刻まれている。

 リボンはオレンジ色で、3本の黒いストライプがあり、ロシアの「軍事的栄光の色」である火と火薬を象徴している。1845年以来、授与された者はすべて、世襲貴族となる権利を与えられた。

 計1万人以上がこの勲章のさまざまな等級を与えられたが、1807年までは将校のみが対象だった。1807年には、とりわけ勇敢な兵士を顕彰するために、聖ゲオルギー勲章の形をした特別な「褒賞」が設けられた(しかし、それで貴族の身分が与えられたわけではない)。公式には、聖ゲオルギー勲章は、ロシアの勲章のヒエラルキーでは、聖アンドレイ勲章よりは下位に置かれたが、軍人にとっては最も大切な褒賞だった。

 

4. 聖ウラジーミル勲章

 1782年、エカテリーナ2世によって、ロシアにキリスト教を導入したウラジーミル聖公の功績を記念して設けられた。この勲章は、帝国の軍人と文官の双方を対象としたものだった。4つの等級があり、最高は勲一等。長年の勤続に対して授与された。

 勲四等は、慈善団体への顕著な貢献、または35年間の非の打ち所のない勤務に対して与えられた。勲章のモットーは「利益、名誉、栄光」。

 記章には赤いエナメルの十字架が含まれおり、それが黒と金で縁取りされている。そして、金と銀を組み合わせた八芒星がある。等級に応じてサイズが異なる。勲章のリボンは黒と赤だ。

 この勲章は、どの等級も、授与された者に世襲貴族となる権利を与えた。しかし、19世紀末には、勲四等は、多くの商人や製造業者に、その慈善行為を顕彰して与えられ、彼らはそれでいわば「貴族もどき」となった。

 1900年以来、勲四等は、「一代貴族」の権利、すなわち、一代限りで貴族となる権利を与えた。つまり、貴族身分は、その子供には継承されなかった。この勲章は、計1万人以上に授与されている。

 

5. 聖アレクサンドル・ネフスキー勲章

 この勲章はもともと、ピョートル大帝が、戦場での勇敢さに報いるために考案した。しかし、このロシア帝国の初代皇帝は、その実現を待たずに亡くなったので、1725年に彼の妻、エカテリーナ1世が創設した。

 アレクサンドル・ネフスキー(1221~1263年)は、スウェーデンとドイツ騎士団の侵略から将来のサンクトペテルブルクの地を守ったロシアの公(ウラジーミル大公)であり、1547年に正教会により列聖された。彼の遺骨は、サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院に、ピョートル大帝自身によって安置された。そういう経緯から、当初、この勲章は、戦争と外交での偉業を顕彰することを目的としていた。

 聖アレクサンドル・ネフスキー勲章が初めて授与されたのは、1725年6月1日のこと。ロシア大公女アンナ・ペトローヴナ(1708~1728年)とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公爵カール・フリードリヒ(1700~1739年)の婚礼に際してだ。この日、18人の参列者に授与され、さらに9月21日にも他の者に与えられた。その結果、この勲章の重みは、「主要な」聖アンドレイ勲章および聖エカテリーナ勲章に対して急落した。

 この勲章は、1797年に初めて正式に制定された。等級は一つしかない。モットーは「勤務と祖国のために」。

 記章には、赤いエナメルの十字架と、4つの金色の「双頭の鷲」が含まれている。銀の星にはモットーが刻まれ、リボンは赤。計3,674人がこの勲章で飾られた。