スターリンはなぜ正教会の活動を再開させたか?

Global Look Press, Legion Media, Public domain
 1917年のロシア革命で権力を掌握した後、ボリシェヴィキ政権は、無神論を掲げてロシア正教会を弾圧したが、冷酷な独裁者スターリンは、第二次世界大戦中に宗教政策を転換した。その理由は?

 1941年の冬にモスクワを救ったのは奇跡だという伝説がある。当時、ドイツ軍が首都の手前に迫っていた。このときソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは、首都を救うために正教会の力を利用せよと命じたのだという。

 イコン「チフヴィンの聖母(生神女)」は、飛行機に載せられてモスクワ上空を飛んだ。それで首都は救われた」。正教徒のジャーナリスト、セルゲイ・フォミンは自著『再臨前のロシア』にこう書いている

 伝説の多くがそうであるように、これは真実ではない。スターリンは神学校の出身だが、ボリシェヴィキの無神論者だ。その彼が敵を倒すためにそんな「奇妙な」手段に頼ったという証拠はない。1941年12月にモスクワを救ったのは赤軍の勇敢さと戦闘能力であり、何らかの「高次の」力などではなかった。

 しかし、この種の伝説は依然として流布している。スターリンがモスクワの聖マトローナを訪れ、彼女は勝利を約束したとか、スターリンがドイツの敗北を祈ったとかいう話がある。

爆破される救世主ハリストス大聖堂、1931年、モスクワ

 これらの伝説は真実ではないが、大戦中に起きた、スターリンの宗教政策の変化を反映してはいる。この変化はソ連国民を驚かせ、この指導者が実は「隠れ正教徒」だという噂を生じさせた。

 上の「モスクワの戦い」に勝った2年後、スターリンはロシア正教会の3人の高僧と会い、聖職者が礼拝を行い、復活祭とクリスマスを祝うことを許可した。さらにいくつかの修道院を教会に戻し(1917年のロシア革命後に没収されていた)、投獄されていた司祭を釈放することを約束した。基本的にスターリンは、キリスト教を無神論の国、ソ連で再び合法化したのだった。

 

宗教政策の転換は本心から?

総主教聖シノドのメンバー 、1933〜1934年

 3人の高僧を代表したセルギイ・スタロゴロツキイは、1925~1943年に総主教代行を務めており、事実上、正教会の最高指導者だった。彼は、会見後にスターリンに手紙を書き、恭順と感謝を表している。

 「あなたの一語一語の中に…私たちは、あなたの心を感じた。それは、すべての祖国の子への父性愛で燃えている…。ロシア正教会にとってとりわけ貴いのは、あなたがその心で次のことがらを感得していることである。すなわち、ロシア正教会は、すべてのロシア人とともに、勝利への意志と、祖国のために一切を犠牲に供する神聖なる覚悟とを共有して生きている、ということである。親愛なるヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ、神がとこしえにあなたをお守りくださるように」

 こうした「この世の強者」への称賛は理解できる。1943年以前は、正教会は絶え間ない恐怖の中にあった。反宗教プロパガンダが猛威を振るっていた。1930年代の宗教弾圧を通じて、少なくとも10万人が、正教会に関連した事件で有罪判決を受け、処刑された。共産主義のみを信奉する国で正教徒(または他の宗教の信者)であることは、脅威の下で生きることを意味した。

 「親愛なるヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ」自身が、正教教会弾圧を行った人々の中にいたことを覚えておくことが肝心だ。スターリンが、イコンを飛行機に載せてモスクワ上空を飛ばせることを命じたという伝説について、掌院ヨヴ(グメロフ)はこう述べている

 「残酷な迫害者を信仰篤いキリスト教徒に見せようとする試みはどれも危険であり、害を及ぼすだけだ」。実際、スターリンはキリスト教徒ではなかったのに、なぜ正教会に対する政策を変えたのだろうか?

 

プラクティカルなアプローチ

 シニカルで抜け目のない指導者、スターリンは、宗教的啓示など体験したことはないが、戦争に勝つためには、正教会をうまく利用するのが大事だと承知していた。

 その理由は第一に、多くのソビエト市民はいまだに隠れ信者であり(表向きは直接禁じられていなかった)、正教会の「合法化」は戦時に国民の団結を保つ助けとなった。これは非常に重要なことだった。

 第二に、同盟国はスターリンに、宗教政策を緩める方向に促した。信者の弾圧は国際的にはまずい宣伝となった。

 第三に、1943年になると赤軍は、それ以前にドイツ軍が占領していたソ連領を奪回し始めた。ドイツ軍は、住民全般の支持を得ようとして、ボリシェヴィキが閉鎖した教会を再開していた。解放者の赤軍がそれを再び閉鎖したら、実際、奇妙だったろう。

 スターリンはこういったことをすべて承知しており、それに応じて行動した。彼の伝記作家で歴史家のオレグ・フレヴニュクは次のように書いている。

 「1920~1930年代のイコノクラスム(聖像破壊運動)、司祭や信者への大規模な弾圧から、一転して和解にいたるまでは、宣伝的でプラクティカルな動きだった。ソ連の宗教政策のこれらの変化は、ロシア人の愛国心の鼓舞という文脈で見られるべきだ」

 スターリンは正教会の指導者への約束を守った。1943年、20年ぶりにモスクワ総主教の選挙が行われ、セルギイが選ばれた。政府当局への忠誠と支持の見返りに、スターリンは正教会の存在を許した。もちろん、国家は無神論のままだったが、司祭はもはや投獄されず、殺されなかった。

 正教会弾圧の次の波は、1960年代のニキータ・フルシチョフの時代に起きたが、弾圧の度合いははるかに緩かった。

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