1.フランスやイギリスと並び、ロシア帝国は空母建造のパイオニアだった。事実上水上機母艦だった最初期の空母は、第一次世界大戦の直前に登場し、大戦中すべての交戦国によって多くの戦場に配備された。
水上滑走艇M-9
Archive photo2.最初期の空母は、初めから空母として設計されたわけではなく、戦艦や民間の旅客船、貨物船を転用して作られていた。
蒸気船「皇后アレクサンドラ」。この船は賞味期限の短い貨物の配送に使われ、ロンドンへの定期的な出帆をしていた。
Archive photo3.第一次世界大戦時の空母は、今日のものとは共通点が少ない。飛行甲板というものはなく、水上機を一つかそれ以上の格納庫にしまっていた。特殊な機構によって航空機は水上に降ろされ、そして空母に戻された。
防護巡洋艦「カグール」に載せられる水上滑走艇«Curtiss» Model D。
Archive photo4.日露戦争を戦った巡洋艦「アルマース」がロシア初の空母となった。第一次世界大戦が勃発して間もなく空母に改造されたが、巡洋艦時代の火力も保っていた。
巡洋艦「アルマース」
Archive photo5.この戦争を通して、ロシア海軍はバルト海と黒海で8隻の空母を用いた。特筆すべきは、うち4隻が、ルーマニアの輸送船を改造したものだったということだ。協商の同盟関係にあったルーマニアがロシアに船を貸し出していたのである。
「トラヤヌス皇帝」。セヴァストポリ、1918年。
Archive photo6.これらの空母の主な任務は、偵察、上陸作戦支援、敵の艦船と軍港の爆撃だった。
水上機母艦「オルリーツァ」のシェルターでの飛行艇 F.B.A. Type С。
Archive photo7. 1916年2月6日、ロシアの空母はオスマントルコのゾングルダク港の攻撃任務を託され、14機の水上機で大規模爆撃を行った。これは、海軍航空隊が遂行した大爆撃としては最初期のものだった。
オスマントルコのゾングルダク港
Archive photo8.バルト海唯一のロシア空母だった「オルリーツァ」(「雌鷲」)は、1915年までは貨物・旅客輸送船「インペラトリーツァ・アレクサンドラ」(「皇后アレクサンドラ」)だった。
「オルリーツァ」
Archive photo9.「オルリーツァ」の2つの格納庫は、4機の水上機を収納できた。この船には作業場と弾薬庫、航空機用の燃料保管庫があった。「オルリーツァ」は、艦載機に守られていただけでなく、2門の75mm砲と2丁の機関銃を備えていた。
飛行艇 F.B.A. Type Сを載せた水上機母艦「オルリーツァ」。
Archive photo10. 1916年7月17日、4機のM-9飛行艇が「オルリーツァ」から飛び立ち、ドイツ軍の4機の水上機と空中戦を繰り広げ、2機を撃ち落とした。今日、この日は「ロシア海軍航空隊の日」として記念されている。
水上機母艦「オルリーツァ」と飛行艇 М-9。
Archive photo11. 1917年の革命後、ロシアの空母は消滅した。4隻のルーマニア船はルーマニアに返還された。「インペラートル・アレクサンドル」(「皇帝アレクサンドル」)と「インペラートル・ニコライ1世」(「皇帝ニコライ1世」)はフランス軍の手に渡り、その後は東南アジアで貨物・旅客輸送船として活用された。ともに1942年に沈没した。
「ラマルティン」、旧名「皇帝アレクサンドル一世」
Archive photo12.「アルマース」は1934年にフランスの会社に売却され、解体された。「オルリーツァ」はまだ幸運なほうだった。「ソヴェート」(「ソビエト」)と改名され、ロシア極東で旅客船として活躍した。1964年、すっかり旧式となり老朽化した船体はついに解体された。
「ソヴェート」、旧名「オルリーツァ」
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