ロシア軍はアルコール依存症といかに戦ったか?

TASS
 ハリウッドとヨーロッパの映画では、ロシア軍はしばしば、酔っぱらいの烏合の衆として描かれている。このイメージはどの程度現実に近いのだろうか?

 最近のアメリカ・トルコ合作映画 『オットマン・ルーテナント The Ottoman Lieutenant』(2017)には、第一次世界大戦中にオスマン帝国の将校がロシア軍に占領された要塞に密かに侵入する場面がある。そこで彼が目にしたロシア兵士の群れは、ぐでんぐでんに酔っ払い、まっすぐに立ち上がることさえできない。

 ロシア軍に関するそうしたイメージは、ハリウッドでは一般的だが、現実からはかけ離れている。単純な論理からしても分かるだろう。もしロシア軍が訓練されていない酔っぱらいの大群にすぎなかったら、なぜロシア軍は効果的に戦い、敵の拠点を占領して勝つことができたのだろうか?

 なるほど、酒というものが、ロシア文化において、ひいては軍においても重要な役割を果たしてきたことに疑いはない。しかし、(革命時代を除けば)、酒がロシア軍の効果的な戦闘能力を妨げたことはなかった。

アルコールVS病気

ソ連の作曲家ニコライ・ストレリニコフのオペラ「ホロープカ(農奴女優)」に基づいた映画「農奴女優」のシーン。レンフィルム・スタジオ、 1963年。ユサールのニキータ・バトゥリン公の役を演じるセルゲイ・ユルスキー(中央)。

 アルコールは、18世紀のロシア軍では禁じられていなかった。それどころか、当時それは、飢餓と風邪に対してと同じく、伝染病を含むいろんな病気と戦ううえで、最も効果的な手段と考えられていた。

 各兵士は毎日2杯のワインまたはウォッカを与えられた。1杯は朝、もう1杯は夜に。また、兵士の食事には、3リットルのビールも含まれていた。勤務成績が優れていれば、さらに酒を追加してもらえた。

 だが、ロシア皇帝ピョートル1世(大帝)は、自分の軍隊が酔っ払いの「下方スパイラル」に落ち込むことを決して許さなかった。泥酔した兵士たちは鞭打ちで罰せられ、将校も降格処分になることがあった。もっとも、鞭以外に「飴」もあった。兵士が酒の分け前を辞退すれば、その分俸給が割り増しされた。

 19世紀には、ロシア軍におけるアルコールといえば、無軌道で気ままなライフスタイルで知られる、軽騎兵のエリート部隊を真っ先に連想させる。彼らは、サーベルでシャンパンのボトルの首を切り落として飲んだとされている。

 軽騎兵たちは、平時にはシャンパンを飲み、戦闘が始まると、ウォッカに切り替えた。彼らは、攻撃の前には、馬の恐怖を鈍らせるためにウォッカに浸した干し草を与えさえした。とはいえ、部隊全体が酔っぱらって攻撃するなどということは稀有なことだった。

アルコール依存症との戦い

第一次世界対戦。1916年。

 20世紀初めになると、医学はそれなりの水準に達した。そして、酒を主な治療法とみなすのは理屈に合わないことになった。そこで国は、軍隊におけるアルコール依存症と戦うようになる。兵士たちは1週間に3杯の酒しか与えられず、アルコールを清涼飲料水「クワス」やスビテン(ハーブと蜂蜜を用いた飲料)などのロシア伝統的な飲み物に替える試みがなされた。

 第一次世界大戦中は、ロシア帝国ではアルコールは禁止されていた。しかしこの措置は、ロシア兵士には歓迎されなかった。彼らは、攻撃中に敵のワイン貯蔵庫を探したり、酒の代わりにオーデコロンを飲んで、大量の中毒者を出したりした。

ロシア探検部隊の兵士がメイリで休んでいる。

 ゆっくりとだが、理の当然として、反アルコール・キャンペーンは結果を出し始めた。そして、ロシア全体のアルコール消費量は、減少に転じた。しかし、1917年のロシア革命がすべての成果を「元の木阿弥」にした。秩序を失った軍は、カオスと滅茶苦茶なアルコール依存に陥った。まさにここから、「いつも酔っぱらっているロシア兵士」のイメージが生まれた。

「コミッサール(人民委員)がふるまう100グラムのウォッカ」

ソ連の軍人がベルリンで戦争が終ってから初めての朝食をとっている。

 こうしたもはや誰の手にも負えないアルコールの狂気は、しかし、ロシア革命と内戦の恐怖のなかで消えていった。赤軍には、アルコール中毒などの余地はなかった。

 が、ソ連とフィンランドが戦った「冬戦争」の時期になると、また状況が変わる。当時のソ連国防大臣(人民委員)クリメント・ヴォロシーロフは、凍傷を負った兵士に、その敢闘精神を高めるべく、ウォッカを毎日一定量(100グラム)を支給するように命令した。

 ここに由来する「コミッサール(人民委員)がふるまう100グラムのウォッカ」は、伝統となり、独ソ戦(大祖国戦争)初めの危機の頃も続いていた。

 しかし、独裁者スターリンは、ソ連兵をアル中にするつもりはなかった。1942年には、一般兵士向けのウォッカ配給は廃止された。パイロットと後方勤務を含むいくつかの範疇に入る人々だけに、その権利が保たれた。

 アルコールは、攻撃前の兵士にも与えられた。しかし他の人々は、100グラムを受け取るには、主な国の祝日を待たねばならなかった。

 アルコールを飲みすぎた者は、重く罰せられる可能性があった。場合によっては、酔った兵士、将校は、階級を剥奪され、「血をもって彼らの恥をそそぐために」、懲罰大隊に送られることもあった。

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